カル会

芸術家日常

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ダンのトツで素晴らしい

  三味線の師匠のライブーを見学した。いや、エライものだった。びよんびよん弦が鳴り、私の鼓膜は変なところで共鳴して脳の中で濁音まみれの音が飛び跳ねる。きっと他の人はちゃんとした音楽に聞こえたかもしれないが、私は共鳴のせいで途中からノイズ音楽のようになってしまった。ともあれ演奏は数少ない私の三味線鑑賞経験の中ではダンのトツで素晴らしいものだった。何がスゲェって現代音楽の下地しか無い私でもスゲェって思わせるところがスゲかった。ライブーが終わってから私は人々と別れて定食屋に入る。荻窪という街はなんだか雰囲気の良い街だ。落ち着いた風情の定食屋が散見されるのが特に良い。私の住むメェグローはなんだかんだ言っても山の手であり気の置けない定食屋なんてものは全く無い。そこで私はフラリ、なるべく庶民的な定食屋の暖簾を潜って飯を喰う。多数あるメニューの中から二種類を選ぶ、というスタイルの店だった。そこで私はアジフライとマグロ納豆を選ぶ。ええ、このセレクション。私はわかっていた。これでは決定的にビタミンが足りないということを。しかしこの定食屋はロハースな感じの野菜中心料理が全然商っていなかったのだ。他にはアジの刺身やらキスフライやらメンチカツやら揚げてあるか生ものかのどちらかしかない。野菜と言えば栄養素を逃さないように煮たりするのが一般的なのでこの店のコンセプトとは被らなかったのだろう。ともあれアジフライとマグロ納豆だ。最初にアジフライを食べる。いやこれがマジで割りと結構イカス。ジェット!でもサクサク過ぎて口の中がズタズタに裂けた。その傷を塞ぐようにマグロ納豆を食べる。そういや、自宅でいつも納豆を食べているのになんで外で納豆を食べているんだろう。食べながらそのことに気づいてテンションが下がった。下がったテンションはアジフライで上げる。口の中は切れる。食べ終えて電車で帰る。JRを使うと新宿駅乗り換えだ。人がたくさんいる新宿はイヤだな、そんな風に考えて地下鉄で帰ると思いのほか遠回りだった。一時間経ってもまだ自宅にたどり着かない。
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  1. 2008/04/30(水) 23:14:22|
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「イカメン」という奴

  仕事を早引きして荻窪に行く。着物の話しをしに三味線の師匠に会いに行ったのだ。ここで飯島氏「三味線の師匠」と書いたがこのまま話を進めて行っては真実と日記を読んだ読者の間でイメージに相当な隔たりが出来る。このお師匠さんはまず、男性なのだ。更に一般的なイメージの師匠からすると相当若い。30代なのだ。しかもフェイスがイカしている。俗に言う「イカメン」という奴だ。そのお師匠さんが私のディザインした着物を着てフィーバーするかもしれないというので飯島御大も会社を中途で出て行くさ。そしてファミリーレストラントのロイヤルホステージでアイスクリンを食べながら話しをした。なんだかお金のかかりそうな話しになってしまった。マニーか。私は商売をしていながらマニーが好きではない。可能ならば全部捨ててしまいたい。ああ。社長という立場と芸術家の間で飯島として私は揺れて。
  1. 2008/04/30(水) 17:55:59|
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いいえ、ケフィアです

  なんだかんだ言っても唐揚げを食べる。それもただの唐揚げじゃないぜ。みぞれ和えという奴だ。大根、大の根が摩り下ろされたものがかかっているところが泣かせるじゃないか。私のように若さとはかけ離れたライフスタイルを持っている人間は唐揚げが食べたいと思っても「あれは若いものが食べるものだから・・・」とすぐ秋風に吹かれてしまうのだがここはみぞれが助けてくれる。みぞれという名の大根が揚がった鶏肉という胃に悪いものを優しくコーティング。日本人の胃腸を支えてくれる。だから私は唐揚げを食べる。熱き思いと気高き優しさの乗った。しかしあれだ。食べてみると意外と普通の唐揚げであり、そこまで胃に優しい感じはなかった。いっそのことヨーグルトをいいえ、ケフィアです。をたっぷり唐揚げにかければなんだか胃に優しそうだったかもしれない。まずいだろうけど。昼食を終えてオフィースに戻るとうかつな私は色々仕事でミスがあって怒られた。いつものことだ。しかし今日の私は大丈夫。大根が守ってくれている。そんなような午後。
  1. 2008/04/30(水) 12:33:06|
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空の青さと人々の笑顔

  母の友人の息子がアメリカに留学するという。だからアメリカ留学経験の深い息子である飯島に何かアドヴィシャスをしてくれというわけでファミリーレストランに呼び出された。そこで私は語るのだけれど考えてみれば私が言えるようなことはほとんど何も無いのだった。そりゃ真面目に写真の勉強をしていたのだけれど英語の勉強はろくにした覚えも無いままになんとなく喋れるようになっていたし、苦労した経験もすぐに忘れてしまうので覚えていることといれば空の青さと人々の笑顔くらいだ。そんなことを人に伝えてどうしようと言うのか。それでもおぼろげな記憶から様々なディテールを拾い集めてお伝えする。正味、三時間くらいだったろうか。間にピザを一枚食べた。そして店を出ようと腰を上げるとすぐ近くのテーブルに知り合いのギャラリーオーナーが座っていた。彼は「オーイ!オーイ!」と全身で私を見つけた喜びを表明していた。私は軽く腰を折って会釈する。母の友人の息子は電車に乗って帰っていった。私は役に立ったろうか。さっきのピザはそんなにおいしくなかったな。
  1. 2008/04/29(火) 22:56:03|
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元ポーランド王・ロレーヌ公

  新宿へやってきた。しかし新宿駅で降りると人が大量にいて恐ろしい。死ぬかもしれん。いっそ死んでしまえれば楽かもしれん。そんなところへは行けないので一つ前の代々木駅で降りる。代々木と新宿は数百メートルしか離れていないので歩いて行けるのだ。行けるのだがこの数百メートルというのが私にとっての鬼門であった。知っているだろうか、この日記を書いている飯島少年は非常な方向音痴なのだ。だから目的地まで数百メートルも距離が開いていてはたどり着くのは至難の業。結果的にそれだけ進むのに二時間かかった。途中でタカシマヤに入ってしまったことも敗因の一つだ。ショートカットのつもりが間違えて地下に行ってしまいしかもそこでケーキを食べていた。タカシマヤの地下に東京の名パティシエのケーキを集めたゾーンがあったのでついたまらなくなってしまいまして。とはいえそこのケーキ屋の八割は既に本店に行った事があり、置いてあるケーキの6割は食べたことがあった。飯島、我ながら恐ろしい子!ついそこでサヴァランとフレジエを食べる。サヴァランは知っているか知っているでしょうか。非常に歴史の深いケーキなのだ。元々はマリーアントワネットの愛した焼き菓子「クグロフ」であったのが元ポーランド王・ロレーヌ公の手で改良され洋酒に浸した後に火をつけるケーキ「アリババ」になり、更にそれを菓子職人ストーラーが改良し「ババ」となり、それがフランスに入りジュリアン兄弟によって「サヴァラン」になったのだ。その歴史を、東洋の島国の巨大歓楽街に立つ巨大ビルヂングの地下で食べる。様々な人の手を得て完成したこのワイルドな旨味といったら無い。洋酒のせいか、少し泣けた。もしかしたら花粉症のせいだったのかもしれない。感傷的な気分になって新宿の街に出る。歩行者天国だった。天国なのに人々は少しも楽しそうな顔をしていなかった。ケーキ食べればよろしいものを。
  1. 2008/04/29(火) 18:02:52|
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五目焼きスヲバ!

  私が住むメェグローも一応都心部である。開発の波はゆっくりとだが駅前を洗い知らない店が徐々に姿を現している。本日はそのうちの一軒、知らぬうちに開業していた中華料理屋の門を叩く。実際には門など無く、自動ドアだが表現として門を叩く。コツコツと。ブイーム。自動ドアが開き飯島が入ってくる。そして飯島は椅子に座って声を発する。「五目焼きスヲバ!」。何にしようか少し迷い、エビチリにしようと思ったのだけれどエビチリは日本食だ。陳健一氏の父親が日本で考案した日式中華である。とはいえ五目ソバが本式の中華料理なのかはわからない。ラーメンは日本食だということは聞いているがしかし。ラーメンと違う名前を冠しているので中華料理なのだろう。というわけで私は待つ。メニューにはシェフらしき中国人の人が大きな写真で載っていた。自己顕示欲の強いメニューだが嫌いではない。数分ならば眺めていて飽きない。そうこうしているともってきた五目焼きソバはシャバシャバしていた。五目系のトロリとした餡は食べていくにしたがってシャバシャバになるのだが最初からシャバシャバというのは珍しい。すすればなるほどアッサリしている。良いかもしれない。ただ少し物足りないかもしれない。腹減った末に少し腹減る昼の祝日。
  1. 2008/04/29(火) 11:53:15|
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ハンバガーというと日本では

  野暮用でヘラ宿へ来た。平日の夜とはいえ世間ではやれゴールデンだ。ウィークだと言ってバカ騒ぎをしているようなので若造どもがゲラゲラ笑いながらフレンチフライをばら撒いているような奇抜シティーのヘラ宿へなんぞ来たくはなかった。でもしかし知っていますか私はこう見えても写真家なのでございます。そして写真家飯島の専門は白黒写真で白黒専門のラボは我が家の近くではヘラ宿にしかない。「ヘラ宿は嫌いだから」なんつって自宅から遠く離れた横浜のラボへフィルムを持っていくのもあるいはもしかしたら格好よいのかもしれないがタイムイズマネー。そして私はヘラ宿にいた。用件の程は程なく終わり、なんとなく歩いていたら噂のキャッフェを偶然にも見つけた。巷で密かな盛り上がりを見せているスウィーツ「モッフル」とかいうモチとワッフルが合わさった料理を食わす店だ。これは一番入ってみねば、と思ったけれどよくよく見れば長蛇の列。キャッフェに入るのに行列ってどういうことよ?キャッフェはラーメン屋じゃねぇんだよ。奥の人間がさっと食べてスッと出て行くものではない。ダラダラと時には数時間ぐったりするのがキャッフェの要諦ではあるまいか。そこへ行列など無粋も極み。散れ!若いもの達よ!というわけでまずは自発的に私から散っていく。そして近くに新しく出来ていたハンバガーショップに入る。ハンバガーというと日本ではファーストフード扱いだが本場アメリカでもやっぱりファーストフード扱いだ。しかし私がふらりと入った店はファーストフードをファーストなままにせず本場のファーストというかわけがわからなくなってきたが兎に角高いハンバガー屋だった。ポテト、チーズバガー、コークでお値段驚きの1500円超え。うーん、マンダム。ブロンソンでなくたって渋い顔になる。だけど私は1500円をぺろりと食べる。癖がなくって食べやすいわ。そもそも癖のあるハンバガーというのはあんまりないわ。なんだか深く考えようとすればするほどハンバガーの思いが上滑りしてしまうのでさっさと食べてしまった。ジャポンのハンバガーはとかくバンズをバカにして中身にばかり入れ込む傾向があるのだがここの店は良いバンズを使っているので飯島感心。このバンズ、持って帰りたいわ。カバンにバンズをたくさん詰めて。ああん、素敵。つやつやのバンズ。ニス塗ってるのかも。中身のチーズも何チーズだか知らないけどいい具合にトロトロだし。1500円だと少し高いと思うけれど800円くらいだったらとても手ごろなのにな。人類は手に入らないものばかり求めたがる。欲の強いこと。猛省。電車に乗って帰る。パンを二個買って。
  1. 2008/04/28(月) 22:56:55|
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口当たりがフルーティ

  ゆえあって昼休みが削減された。となれば普通はスピーディーに食べられるものを昼飯に選ぶのだろうがそこは飯島。ですが飯島。普通にカレーを食べていた。スピーディーに食べられるものだ。本当はカレーよりも更にスピーディーに平らげられる蕎麦にしようと思ったのだけれど普通に混んでいたのでやめた。いくら早く食べられるとは申しても出てくるまでに時間がかかっては意味が無い。人生にそもそも意味と呼べる意味はあるのか。意味が無い。ともあれまずはカレーである。カレーはいつもよりもスパイシーだった。「スパイシー」というのは「辛い」という意味ではない。人生にそもそも・・・。つまり辛いのではなくスパイスが効いていて香りが強めだったのだ。そして口当たりがフルーティ。梨を食べているようだ。なんだか三軒茶屋で働くようになってカレーばかり食べていたらカレーに対して舌が鋭敏に進化してきた。それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。いずれこのカレー舌がもとで窮地を潜り抜けるかもしれないし、これが原因で死ぬかもしれない。何にせよ中途半端な才能というのには気をつけることだ。必ず才能は自分自身を裏切ることになる。とはいえ自分を裏切らない才などこの世には無いのでしょう。急いでいるので食後はアイスコーフィを貰う。いつもはちんたらホットコーフィを飲むのだけれど温度というのもは偉いもので少々下がると一気に飲める。温度というものは偉いもので。
  1. 2008/04/28(月) 12:53:14|
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意味での意味に拘泥

  豚キムチを作って食べた。というのもそろそろキムチの賞味期限が切れるのではないかと思ったのだけれど自宅で確認すると賞味期限が切れるのははまだまだ先の話だった。とはいえ買ってきた豚肉を返品して別のものを作る算段をするのも骨なのでそのまま豚キムチ。流石に簡単な料理なので失敗しない。間違えないので退屈だ。私はもっと思い込みが激しくて一般的な意味での意味に拘泥しない人間でありたいのに。ああ、精神。壊れてしまえば楽なのかも。そうはすまいと何かを積み上げる私の中の私の人。ああ、もうすぐ父が死んだ歳に私もなる。
  1. 2008/04/27(日) 22:11:27|
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進むと疲労困憊し

  駅ビルで事務用品を買う。そしてビルを出ようとすると見かけない場所に見かけないキャッフェが出来ていた。駅ビルの一階で商いをしているケキー屋のキャッフェ部門がそこで営業を始めていたのだ。一階のケキーは食べたことがあるがこのキャッフェを使ったことはない。ということで食べる気がなかったけれどケキーを食べなくてはならなくなった。私は何よりも好奇心によって動いているので。初めて行く街に出ると同様のことが頻繁に起こり、数百メートル進んではケキー屋に入ったりキャッフェに寄ったりしている。そして休んでいるように見えて実は何かに突き動かされての行動なので2,3kmも進むと疲労困憊してしまうのです。飯島はそこのところ割りと阿呆なので自分自身大変困ります。今回も別に食べなくても良いと思いつつしかし食べねばならないと思いチョコレートケキーを平らげる。思ったよりも軽かったので助かった。両隣には母と娘の二人連れ。私の存在は意味不明。旬のイチゴに助けられているだけでケキー自体の力はあまり無かった。溜め息は鼻から深く。鼻腔の奥にイチゴ。春。
  1. 2008/04/27(日) 15:33:17|
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拡大解釈するフランス料理

  近所のフランス料理屋が潰れた。潰れた後にまたフランス料理屋が出来た。潰れてから開店までの間がほとんど無く、内装も外装も全く変わったように見えないので以前のように「ソーセージ」とあるのにわざわざ皮を裂いてほぐしてしまっていたりするような、料理を拡大解釈するフランス料理屋かと思っていたのだけれどまかさ一回潰れてまた同じことをやっているわけではあるまい。常識的に考えて同一料理で勝負するのだから前よりもおいしくなるのが道理であろう。そのように考えて、実際は何も考えずに考えて私は店に入る。メニュールを一通り眺めてみると前はフランス料理屋のはずなのになぜかドイツ料理屋アメリカ南部料理があったのに対して現在はイタリア料理が主体だ。そうか、フランス料理屋からまたフランス料理屋になったと思ったらイタリア料理屋になっていたのか。これは飯島一本取られた!そこで私はグラタンを食べた。普通のグラタンならばあまりピンと来なかったかもしれないがここの店は三種盛ってくれるというのだからたまらない。ブロッコロリのグラタン、トマトと水菜のグラタン、エビドリア。あ、一つはドリアだった。ともあれ三つともチーズを使った平皿料理である。それらを端から食べていたのだがよく出来ていますねー。確実に潰れる前よりもレベルアップしている。内装などはそのままだがスタッフの顔ぶれは全く違うので店自体、外観が似ているだけで共通点は私が考えているほど多くないのかもしれない。だから客の入りも良い。私が入った時は私一人だったのにすぐさま7人が入ってきて次に1人が入ってきたと思ったら8人が入ってきた。そんなにテーブル無いのに。私は自分が食べる分を食べてしまうとさっさと外に出る。だが私一人減ったところで8人の居場所は見つからない。しかもドアのところに固まっているので私が出られない。「失礼」、声をかけると8人はあまり要領がよくない8人なのか全員が扉の前に詰めていく。一番邪魔なところに固まってどうしようというのか。「失礼」もう一度声をかけると8人のうちの一人がようやく事態を察したのか「あっ、出られないですよね」と申してやっぱりダマになって動いていく。なんのために8人でいるのか。まずはそこのところを明確にすべきではあるまいか。
  1. 2008/04/27(日) 12:29:49|
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ベストモーメントを狙う

  世話になったギャラリーオーナー氏が実家に戻られることになった。そこで送別会が開催されることなり飯島も顔を出す。ロウソクを持ってくるよう言われていたので普通の極端に太い百目ロウソクを持ってきたのだけれどたまに出てくる飯島のアメリカン感覚のせいで「パーテーとは開始から30分後に来るもの」と勝手に思い込んで遅めにいったら既にロウソクはいらない雰囲気になっていた。そこですぐにシャンパンを飲んでロウソクのことは忘れて人々と喋っていた。喋っていたが記念の写真でも撮ろうとキャメラを取り出すと最近は眠り気味だった私の写真家魂がまたぞろ盛り上がってしまい、一人で口数少なくベストモーメントを狙う飯島氏。空気を読まない。そしてフィルムを使い切ってようやくパーテーに戻っていくのだけれど、すると何人かは私を知っているような口ぶりで話しかけてくる。いつも着物姿の写真家だ。人目につきやすいせいで残念ながら人々に顔を知られているのだろう。だが私の脳は半分腐っているようで誰だかわからない人が多く、混乱すること甚だしかった。そうは言っても結局パーテーをしまいまでいて家に帰る。ドクターペッパーを自販機で購入し飲みながら帰る。雨がチラチラと缶に当たって。
  1. 2008/04/27(日) 00:14:19|
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人間の神性が見える

  ケーキを食べにやってきた。ここは都内ながら飯島家から1時間以上かかる。とはいえもう近場のケーキ屋は制覇してしまったのでドンドン遠くなるのです。それに最短距離ならばもう少し早く着くことが出来るのだけれど繁華街を通るのが嫌いとか行きと帰りは別のルートで無いとヤダとかそういう個人的なめんどくさい飯島ルールのせいで時間がかかる。とはいえやってきましたケーキ屋は事前調査では確認できなかったイートインエリアがあったのが助かった。前述のように私は移動に時間がかかるので家まで持って帰ることになると骨なのだ。しかもこの店は焼きリンゴが目玉なのだった。焼きリンゴが冷え切って萎んだものを自宅でマイクロウェーブ調理器(電子レンジ)に入れてもどうにもうまそうにならない。そこでイートインの出番である。焼きリンゴを持ってまいれ、それから複雑な名前のドイツ的なチーズケーキも持ってまいれ、あと紅茶も。うん、ダージリンを。というわけでやってきた焼きリンゴは目が覚めるほどうまいものだった。元々目が覚めていた飯島は第三の目が開いてしまって見えなくても良いものが色々見えるようになった。未来過去善悪が。全ては甘味の中にあり!ああ、焼きリンゴの癖にちゃんとケーキになっている。でも間違いなく果物としてのリンゴだ。なんという二律背反。やっぱりケーキは良いものだ。甘味を通して人間の神性が見える、仏性が見える。一時ではあるが天上の楽土に触れられる。ドイツのチーズケーキもやはり相当なもので飯島は唸る以外に感情表現が出来なかった。どちらのケーキもどうしてだろう、完全を感じさせないのがよろしかった。想像力で埋められる幅を残してあるのだ。そこがまたうまい。サモトラケのニケを思い起こさせる。持ち帰ろうかとも思ったがそこは踏みとどまる。規定カロリーヌオーバーになる。夢うつつのままで電車に乗ったらば反対方向へ行ってしまい一気に苦虫を噛み潰す。ええい、飯島のなんと間抜けなことよ。
  1. 2008/04/26(土) 18:15:29|
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食べる一口まずマグロ

  用があって新宿へ来た。そりゃ用もなく飯島は新宿なんぞにやっては来らんよ。そして新宿に来た飯島は腹が減っておった。そりゃどこにおっても昼になれば腹は減るよ。ちゅうわけで手近な店に入ってしまう。常日頃から昼飯を食べる場所はリサーチをしておく飯島だがたまには気分に任せて選んでみる。選んでみたらば大変な事態になった。順を追って話そう。まず飯島が頼みましたのは三色漬け丼。マグロ、サーモン、白身魚が乗っている尋常の丼だ。私は手近にあった醤油さしから「刺身用」と書かれたものを手にとってサラサラと上に散らす。「漬け」なのだから醤油なんてかけなくても良さそうなものだが私の目からは全く何にも「漬け」られていないように見えたのだ。そして私は食べる一口まずマグロから。するとどうだろう。脳天に突き抜けるこの生臭さ。そして食感の悪さ。ぬめっぬめしている。それももずくのような爽やかなぬめぬめではなくドブ川のそれでもやや澄んでいるところのようないやらしいぬめり感がる。一口目で私は逆に感心してしまった。刺身でここまでまずいものが作れるとは相当自覚的でなければ出来ないぞ。この店は客が嫌いなんだ。大嫌いなんだ。とはいえ他の客は楽しそうに食べている。全員漬け丼以外のものを食べている。なるほどそういうカラクリか!この店は客が嫌いなんじゃない!「漬け」が大嫌いなんだ!だから「漬け丼」を頼む客も嫌いなんだ!ああ、ちくしょう。まずいなぁまずいなぁ。それでも死んだ魚に悪いので私は全て平らげます。これが飯島流儀の供養の法。用事をすまして新宿を出る。人が多くて肩が凝る。
  1. 2008/04/26(土) 12:33:37|
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GHP(国民総幸福)という生き方

  業務終わりて新橋へ。というのも中学来の先輩同輩が飲もうぜと申すから。突然の召集なので何やらサプライジングな報告でもあるのかと思わばそうでもない。ただなんとなく、という優雅さである。そして声をかけた全員が金曜の夜ながら来られるという暇人っぷり。素晴らしい。そんな我々、新橋というサラリマーンの聖地で酒を飲むのだが私は新橋など2,3回なんらかの美術系の用があって来たことがあるくらいでサラリマーンの人々と一緒になって酒を飲んだことが無い。わたしみたいな無頼漢がやってくると背広の集団に寄ってたかった殴られるのではないかと戦々恐々としていたのだ。だが今回はサラリマーンの先輩同輩がいるから大丈夫。酔ったリーマン酔漢がやってきてもサラリマーン同士、すっと抱きとめて耳元で「ちゅっ」とか言えばサーっと離れていくに違いない。そんな我々はまずはちょっと洒落た風のビアーパブのようなところに入る。そして私は久々にビアーを飲む。なんといっても飯島、アルコールはワインしか飲まない。なぜなら赤くて綺麗だから。味はもちろんわかりませんよ。ファンタやコーラの方がおいしいとは思うのだけれどワインほど綺麗じゃないから夜に飲むのは難点だと思う程度の感性です。そしてビアーのつまみに西洋の唐揚げやら何やらを食べてる。サラリマーンズは金利とか国債とか金がらみの話しをしていたが私はそういうのはよくわからない。だから「ブータンを見よ!GDP(国民総生産)ではない!GHP(国民総幸福)という生き方!」と強引に会話に割り込んでみたら結構なびく人がいた。なるほど世界は幸福を求めている。そして二件目はザギンまで歩いて先輩オススメの店へ行くが混雑していて入れなかった。だから適当に入ったお洒落居酒屋で飲むはやっぱりワインなり。ザギン酒。ほしてダラダラと飲食を致して電車で帰る。事故のせいで素晴らしく混んでいた。眠くて眠くて頭が痛くて死ぬるぜ。
  1. 2008/04/26(土) 00:54:05|
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重ねればもしかしたら1000人

  昨日、入りそびれたキャッフェに行く。若者度もがゾロゾロ入っていった店だ。入り口は地下にあり、やんちゃでうるさいのが相場の若いものが大量に入ったらば店が潰れてガレキの山になるのではないかと思ったがそうはならなかった。なぜなら広いからだ。私は今日、初めて入ってみたのだけれど飯島を100人詰め込もうと思えば詰められる店がその店だった。もっと飯島を棒状にして天井まで積み重ねればもしかしたら1000人行くかもしれん。とはいえ飯島は1人であり2人ですらない。しかも昨日はあんなにも大量にいた若人どもが今日に限っては一人もいない。かといって老人ばかりかと言えばそうでもない。客は飯島ただ一人。そこで私はプレートランチという限定ランチを一人で食べる。それは豚肉が乗った皿だった。豚は流石に一匹ではない。一匹を細切れにしたその欠片である。詳しく申せばその豚の肉片を味噌でつけたものを鍋で焼いたものだ。ただ、豚と味噌だけだされても私は昼から酒を飲むたちではないので持て余してしまう。ところがどっこい店のほうは考えてるようでキチンと米とそれから気を利かせてミドリの野菜を添えている。なるほど、味噌と豚だけでは喉が渇いてしかたがないが米と食べると合点が行く。うまいものぞな豚と米。てっきり私はキャッフェの内装からキッチュな感じのガールズパンクカフェかと思ったらきちんとしたものを作っているではありませんか。なるほどこれなら若者もゾロゾロ入ってくるものだ。ゆっくり食事をしてもよかろうと思ったのだけれどまた若造がやってきてはたまらない急いで店を出てオフィースに戻る。同僚が入れ替わりで昼に出るところだった。手を振る。
  1. 2008/04/25(金) 12:28:15|
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立ち上がったクレープ

  なんとなくストレスが溜まってきたのでケキーを買って帰る。「ストレス」という言葉は便利なものだ。この言葉が無ければ自分に一体何が溜まっているのか誰もわからなかったろう。だが今の私はわかる。確かに溜まっているのだ、ストレスという名のモヤモヤが。そこでそいつをリリースするためにケキーを買う。二個買う。大手ケキーチェーンの高級ブランドケキーを始めて購入してみた。元々私はチェーン店のケキーがあまり好きではないのだが、「あまり好きではない」と言うだけでは説得力に欠けるので非難するためにもたまには買って食べてやらねばならない。そしていつも少しだけ期待している。私のちんけな先入観なんてぶち壊すぐらい力のあるケキーを大手チェーン店でも作り出せるのではないかと。そんな熱い思いで自宅に戻り、いざや食べるよ私はケキーを。まずは「シュークリームに手を加えました」という変なケキー。シュークリームというのは知っての通りの岩石状の色気の無い甘味物だが、私が買ったケキーは「シュークリームを・・・」と言っているわりに岩石らしさは全くなく何故か合掌造りのような三角形だ。食べてみてもクリームとクレープが多重構造に、それもミルフィーユのような横の重ね合わせではなく縦に組み合わせてある。つまりフォークでは大変食べにくい。三角形に立ち上がったクレープをフォークで切るのは至難の技であるように。そして味の方も独創性に欠けていた。クリームにおんぶに抱っこをしている割りにクリームが無個性。取り立てて良い材料を使っているわけでもなく良い香りもしない。一言で言うならば、ガッカリ。もう一つのケキーは誰かとコラボレーションをしているらしいがその相手が私は全く知らない外国人だ。名前が横文字ならばケーキセンスがあると思うのは最早時代遅れの考え方ではあるまいか。私の知っているアメリカ人は誰一人として甘味勘が無いし。ともあれ食べてみなければ始まらない。終わらない。食べてみてそれは終わった。なんだか組み合わさらないパズルのピースで強引に創った安い風景画のような気持ちの悪さ。幼児が癇癪を起こしたような味だ。ストレスが溜まったからケキーを買ったのにますますストレスが溜まってしまった。むしゃくしゃして私が選ばなかったおはぎを思い浮かべる。ああ、選択肢。人生におけるチャンスの数は限られているのに。だが悲嘆にくれてはいられない。チャンスは二度来る。いやもっとたくさんやってくる。中腰で目を凝らせ!人間の可能性は実際のところ相当すげぇ。
  1. 2008/04/24(木) 22:57:03|
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三軒茶屋はイタリアではない

  三軒茶屋にはうまいパスタ屋は無いと思っていた。だって三軒茶屋はイタリアではないのだから。でも、目黒もイタリアではない。イタリアではないのにうまいパスタ屋はある。これはもしかするとイタリアとパスタの関係は思いのほか少ないのかもしれない。そう思いながら私は三軒茶屋のパスタ専門店に入る。本当は別の店に入ろうと思ったのだけれど私の目の前で10人以上の団体が吸い込まれてしまったので「複数の人間がいる」こと嫌いの飯島は入る気がなくなってしまったのです。しょぼーん。そこで近くにあったパスタ屋に入ったのだ。今まで「三軒茶屋はイタリアではない」と思って敬遠していたのに。そこで私はメニュールを見て悩んだ。というのも飯島行きつけのパスタ屋は都内有数の名店だが、実は頼んではいけない地雷メニューも多いためほとんどいつも同じものを食べているからだ。今回は初めての店でしかも醤油ベース、明太子ベースから始まってスープ系、ニンニク系、トマト系、と多岐にわたっていて飯島大いに悩む。幸せな懊悩と言っても良いかもしれないが、会社に勤める飯島としてはニヤニヤしながらメニューを何十分も眺めていてはクビになってしまう。あるいはクビになっても構わないのだけれど実際にクビになったら生きていくのに難渋する。いや全く面倒な世の中だこと。私は生きている。というわけで醤油ベースのキノコとナスのパスタを食べた。そして私は「イタリア」を感じた。醤油ベースのパスタでなぜ「イタリア」なのかと言うと、逆に私がイタリアのことをほとんど全く知らないからだ。行ったことも行こうとしたこともない。ただ、勝手にうまいパスタを食べるとイタリアを連想してピサの斜塔やらビバルディやらを脳裏に描いて悦に入っているだけだ。今日、私が頭の中で描いたイタリアはそりゃあイタリアンなイタリアだった。まさかなー。もがなー。まさかここほどまでにやるとは思わなんだ。キノコが生きていた。ナスもしばらく前まで生きていた。パスタも、そう小麦が生き生きとしていた。みんな生きていたんだ。そして全部死んで今は私の一部です。眠気をこらえて仕事をしています。
  1. 2008/04/24(木) 12:51:43|
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Baguette du jour バゲット・ドゥ・ジュール

  もしもパンで死ぬことができるなら、僕はここのパンで死にたい。そういうパンに、私は出あった。そのパン屋の噂だけは以前から聞いていた。日本が誇るパン屋であると。パン屋の中のパン屋であると。そう聞いてはパンの人、飯島としては放っておくわけにはいかない。いざや一人で食べに行く。そのパン屋は三宿にあった。三宿と言うといかにも芸能人が通ぶって通うところだが、そのパン屋もそんな感じなのか!イメージになびいてかっこだけのパンを作っているのか!?そのような思いでパン屋に入ってみる。店内の広さの割にはパンがあまり置いていない。既に閉店間際なのかと思ったがそうではないようだ。気合の入った季節のパンを焼いているので種類があまり無いようだ。私はイートインできる、という噂を聞いていたので何か惣菜パンを二つと甘いパンを一つ食べようかな、なんつって考えていたのだけれど飯島は甘かった。本気なのだ。どすこい本気のパン屋なのだ。惣菜パンも甘いパンも売っていない。「Deutsche Weisheit ドイチェ・ヴァイスハイト」「Vollkorn brot フォルコンブロート」「Baguette du jour バゲット・ドゥ・ジュール」本気すぎて聞いた事も無いパンばかり扱っている。ヨーロッパ人なら涙を流して「懐かしい!」と喜ぶかもしれないが、多少アメリカに滞在していたとはいえ純正の日本人である飯島としては怪訝な顔をするばかりだ。だがパン屋で変な顔をしていても店員が奥で噂をする程度のことしか起こらないのでいざや何かイートインだ。都合の良いことに「パンオススメセット」があったのでそれを頼む。1500円でいくつかのパンと飲み物がついてくる。正直言って思ったよりも高く、メニューを見たときにフランスパンで殴られたような衝撃があったがこんなところでひるんでいてはパンの人、飯島の名がすたる。こういう高い店のパンはなぜか値段が高いほどちょっぴりしか来ないから1500円でも相当ちょっぴりなのだろうな。などと物思いにふけっていると近くに住んでいる人なのか女子が何人かパンを買いに来るのが見える。いかにもパンが好き!という感じの落ち着いたクリーム色の服を着た女子が多い。確かに、男子学生や柔道部員がニキビだらけの顔でフランスパンにチーズを乗せて食べている様はいかにも格好がつかない。そのように人の出入りを見ていたら女子店員がパンを持ってやってきた。プレートに並んだ五枚のパンと一匙のチーズ、そしてオリーブ油・ハチミツ・イチゴのコンポート(ジャム)。店員が端から説明してくれるのだが向こうは明らかにパンの名前すら覚えていないし聞いている私も向こうが何を言っているのか全くわからないし理解しようという気も無い。目の前にパンを置かれれば人の理解力なんて8割減だ。早く食べたい。一口ワインを口に含み、いざや食べるはファーストパン。一番左から食べる。そして私は溶けたね。ここが家の中だったら床に座って泣いてしまったかもしれない。いい、パンです。あなた、いい、パンです。二つ目も三つ目も四つ目も五つ目も、ああ、素晴らしいパンでした。この喜びは、しかしそれなりにパンを食べこんだ人間でなければ味わえないものでしょう。誰かこの味をわかる人を連れてきたい。そしてパンを散々食べたのにまたパンが食べたくなった。パンを他所の店で買って帰る。明日もまた別の店でパンを買う。人生は知っているかね、割とパンで構成されている。
  1. 2008/04/23(水) 22:44:43|
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500円前後なのに一つ

  三軒茶屋には水曜日だけランチを商っている店がある。いつも忘れていたのだが今日は覚えていた。覚えているからには行かなくてはなるまい。今日を逃したらまた一週間行くことが出来ないのだから。というわけで何気なく店に入ってろくにメニューも読まずに「特製ランチ」を頼んでしまった。オーダーを入れた後に他のランチが500円前後なのに一つこの「特製」だけが1000円近くなのに気がついた。少々、アレな予感がしたのだけれどやっぱりかなり待たされた。待たされた末に出てきたものは鶏一頭。の半分。と、おにぎり二個。へーい。ユー。へーい。ユー。世界はいびつだ。モノというのはおさめるべき時にさめるべきところにおさめるべきなのではあるまいか?鶏半分とおにぎり二個は飯島の中におさまるべきものでしょうか。否!でもおさめるのです。頼んでおいてから「多いよ!」っつって捨ててしまうのはどうかと思うので。そこでまずは手羽を食べる。うむうむ。味が濃くって甘辛でおいしいな。次に腿を食う。なるほど。味が複雑で腿ならではだ。さすが腿。更に続いて胸肉いたる。この部位は筋肉を愛するものにとっては必食だが私は別にそんなに筋肉を愛していない。そうなると鶏肉の中で最も旨味の薄い部分でありパサパサしており食べるのに少々骨を折る。でも、結果としては鶏半分は飯島の中に納まったのでした。午後の眠気が尋常ではない。
  1. 2008/04/23(水) 12:43:40|
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フリーチベット

  打ち合わせる。キャッフェでそして飯屋で。飯屋は三軒茶屋に詳しい飯島氏が案内すると言ったのに連れてきた店は一度も入ったことが無い店である。飯島氏に案内を任せると稀にこういうことが起こる。新しい店はまず一人で行って開拓すれば良いものを人を巻き込んで適当な行動に出るのだ。そういうダメな飯島だが今回の打ち合わせ人が全く飯島を止めなかったのですんなりと店は決まってそこで食べるのはタイ料理をベースとした創作料理。キャッフェで希望を聞いたときに「最近、和食ばっかり食べてるからヨーロッパの料理が食べたいです」と申していたのにタイ料理。飯島ひどい。そこでオムレツ、エビ炒め、パッタイを平らげて話しをする。打ち合わせのはずがアルコールの作用か、また飯島の独演会になってしまった。曰く「今の人は魂の新陳代謝が足りない!」「フリーチベット!」「理解と寛容!」などと好き勝手なことを言っていた。そうこうしていると終バスの時間が近づいたので帰る。私以外には誰も乗っていなかった。バス停にも全く止まらないので素晴らしい速力で自宅につく。頼んだ本が来ているかと郵便受けを除いてみたが何も入っていなかった。
  1. 2008/04/22(火) 23:23:50|
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ダイブトゥーミーセクシュアリー

  なんか適当なものを買ってきて食堂で食べてやろうと思っていたのだけれど思っただけだった。なぜならオフィースの外に出た飯島はそこで運命的な出会いを果たしたからです。カンパチの訴求力。そう、私はカンパチに出会ったのでした。カンパチ、おお、ブリの一種。私はブリが大好きなのさ。あの白身魚の癖にたんまりと溜め込んだ脂肪がなんともいえないのさ。寿司屋では値段が安いのもまた魅力である。そのカンパチをメインに据え、更に脇へネギトロを敷き詰めた丼を饗するというのだから飯島たまらない。S極にひきつけられるN極のように店の中へ飛び込みます。そして頼む私はその二色丼。すると大将はほかほかのご飯にカンパチを、そしてネギトロをみっしり乗せると私の座るカウンターへダイブトゥーミーセクシュアリー。いやーん。ほかほかかー。ちょっと嫌な感じの温かさだがさっさと食べればまだ良かろう。ほかほかがカンパチの刺身に悪影響を与える前に、と急ぎ箸を動かしたのだがこのほかほかの熱伝導率と言ったらハンパではない。ただのカレー屋だと思ったらインド人だった、というくらいハンパではない。ぬるまったカンパチのまずいこと。ネギトロもまた然りである。とはいえネギトロはまだマシだったと言えよう。なぜならネギトロはどうしてか大量のトロロで水増しされており、こやつのせいでほかほかご飯による劣化が抑えられていた。だがそれでも「抑えられている」程度であり、その上ネギトロではなくトロロ飯なので飯島としては全く釈然としない。たばかられた!そんな感覚が私の中に満ちていく。やっぱり当初の予定通りなんか適当なものを買って食堂で食べてやればよかったのだ。目から力が無くなり着ていた洋服から2割ほど色味が失せた。悄然とした面持ちでオフィースに帰ると同僚がいる。私がひどい目に会うと大喜びをする同僚がいたのでことの顛末を伝えると大変魅力的な笑顔でどこかへ去っていった。きゅーんとした。
  1. 2008/04/22(火) 12:59:15|
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ただわしわしと

  白い飯をただわしわしと食べたくて飯を炊く。とはいえおかずもなしに黙々と食べる事はできない。なんとなれば私は「おかず」という喜びを知っている人間だからです。だから私はキムチーを買って来ました。わしわし食べるにはサクサクしてほんのり辛いものが良いと思うのです。肉だと途中で哲学的になってしまうのでよろしくない。魚だと思考がやっぱり内にこもってしまうので箸が止まりやすい。というか私は考え事をしてばかりだ。だから阿呆になってしまったのか。納得。そういうわけで白い飯をキムチでずっと食べていた。しかし、半分で飽きてしまったのでやはり納豆を練ってかけたのです。最近は納豆を買ってもまずいものばかりと思っていたのだけれど実はそうでもなかった。今日のものはおいしいのだった。というのもいつもと違うものを買ったから。今まで知らぬ間になぜか毎回決まったレーベルのまずい納豆を食べていたのだった。だから阿呆になってしまったのか。納得。というわけでコーフィを山のように沸かしてガブガブ飲むのでした。液体を「山のように」というのはまた難しい。そうこうしていると宅配便の人がやってきた。滝のように汗をかいた太っちょだ。伝票が湿っている。頑張っているのはわかるのだけれど。
  1. 2008/04/21(月) 22:45:15|
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ウソだと思うならキー

  なにものかを食べたい。ただ、具体的なものもなく減らした腹を抱えて私は街に出る。出れば飲食店がずらりと並び、歩いているうちに「そうじゃそうじゃ海産物が食べたいのだ」と日本海が恋しくなって来たので海産料理屋に行ってみると普通に定休日。なぜか両隣のとんかつ屋は開いている。とはいえ海産物とトンカツとはいかにも隔たりがある。海に豚はいないし豚は海に行かない。「海豚」という生き物がいないわけでもないがこれは「イルカ」のことだ。ウソだと思うならキーボードで「いるか」と打って変換してみよ。どうだい?不思議だろう。これが日本語と言うものさ!ともあれ海鮮料理屋が休みなのでつらつら歩いて何気ない定食屋に私は入る。そこの「今日のランチ」を何気なく頼んでみるとトンカツが出てきた。そうそう、これこれ。私は専門店のトンカツは別に食べたくなかったんだけど定食屋の適当なトンカツが食べたかったんだよね。なんつって。そんなような曖昧なトンカツを私は食べた。食後に思ったより時間があったのでインドの詩を読んでいた。感動しながらも微妙に眠い。
  1. 2008/04/21(月) 12:26:52|
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パンのおかげで

  パンを食べた。良いパンだった。知っていて買ったのだから良いパンであるのが当たり前だ。これでまずいパンだったら飯島は絶望のあまり死ぬる。 だが私は死ななかった!生きている!パンのおかげで。サンキュー、パン。と、何か日記に書こうと思ったけれど私の中から白く丸いものが抜けていってしまったので書くべきことがなくなってしまった。元々私の日記は中身の無いことをダラダラ書き綴っているので書くべきことが無くても一向に構わないのだけれど本当に何も無い、というのは逆にチャンスのようにも思える。好きなことを書いて良いのだ。意味のあることでも、無いことでも。だから私はパンを食べた話しを書こう。もしくは書かないでいよう。寝てしまおう。
  1. 2008/04/20(日) 23:03:18|
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区長選挙

  区長選挙に行く。正直なところ、区長選などに私は全く興味が無い。誰になろうと私に対する影響はほとんど存在しないからだ。とはいえこの権利は下手に捨てて良い権利ではない。それに私は選挙会場に興味があった。目黒二中、五中、六中が統合された新しい校舎というものに是非入ってみたかった。だのに、だのに行ってみたらば断れました。なぜって私に指定された選挙会場は新しい校舎とは全く関係の無い目黒三中だったから。いいじゃないか、どこへ行っても!どれも目黒区内じゃないか!だのに選挙会場の人々は融通が全く利かない。妙なシステムに縛られている。文句を言ったところで彼らは何も出来ないだろう。それに選挙のルールをキチンと確認しなかったのは私だ。素直に新しい校舎を出て古い校舎へ向かって歩く。タクシーならワンメーターだろうが徒歩だと辛い距離だ。途中、パンを買ってまた歩く。これだから政治は全く腹が立つ。
  1. 2008/04/20(日) 17:40:54|
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五万二千円のテーブルチャージ

  店があったところが店がなくなった。いや、中メェグローの話なんですけどね。流行の街になってしまったせいで店の入れ替わりが激しくなり、「いつか行こう」と思っていた店がドンドン無くなってまた知らぬ店になる。此度のキャッフェも「いつか行こう」と思っていて本日がその「いつか」だと思い入ってみたのだけれど私がチェックしたときと店の雰囲気も名前もスタッフも何もかもが違っていた。ロハースを売りとした天然自然系のキャッフェになっていた。天然自然とは言ってもアレだ。店の中が雑草だらけになっていてコーフィを飲んでいると蟻が群がってくるような店ではない。スローライフとかそういうのを標榜している店だ。さらにスピリチュアリティもふんだんに取り入れてあった。とはいえしかし、キャッフェの中のほとんどの家具は売り物にもなっているようで私が案内されたテーブルに「五万二千円」と書かれていたのを見たときは少し肝が潰れた。席につくだけで五万二千円のテーブルチャージを取られるとんでもないぼったくりキャッフェに入ってしまったのかと思った。とはいえそんなことは常識的に考えればありえない。あったとしても逃げれば逃げ切れるだろう。ということで腹を決めて席に座り、私はデザートガレットとコーフィを頼む。ガレットとはつまりそば粉のクレープ。それにアイスクリンが乗っている。丁寧にナイフを入れてしゅっとさっとパッと食べる。早くせねばアイスクリンが溶けてしまうからさ。ゆっくり食べたかったのだけれど、ええ、アイスクリンはそういう望みに対応できるように作られてはいない。しかし、スピーディに食べるということは何も考えずにただただ口の中に食物を入れるということを意味するのではない。その短時間の間に楽しむ。楽しくなければ甘味じゃない。派手さはないが滋味が溢れていた。正直、甘さは控えすぎで飯島好みでない上ガレットは粉っぽいと言って過言で無いものだった。それだのに何故かもっと食べたい。また来たいと思わされる魅力があった。いわゆる不細工なのに魅力的。土俗的な顔。まだ伸びる可能性を感じるのです。私はその伸びしろを食べたい。可能性を食べたい。観念で食事をしたい。そんなことが不可能というのは当に存じております。だから私は現実の食事を日に三度も行っておるわけです。
  1. 2008/04/20(日) 15:26:02|
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持ち寄るようパーテー

  ろうそくを買ってきた。それというのも世話になった人が田舎に帰るの折り開催される送別会があるのだが、そこへ各々ろうそくを持ち寄るようパーテーの主催者に言われたからだ。だが、ただ持ってこいと言われてこまっしゃくれたアロマキャンドルなんぞを持っていく飯島ではない。私が今日、買いに来たのはろうそく職人が一本一本丹精を込めて作り上げた最高級の百目ロウソクだ。灯したところで良い匂いもしないし、ロマンチックさは欠片は無いのだけれど風格はある。日本人が伝統と歴史で作り上げられた堂々たる文化の背骨がロウソクの中に入っている。それが旅立つ人にとって何を意味しているのかわからない。百目ロウソク。皆、私と同じ考えで似たようなロウソクを持ってきたらどうしよう。「巨大な台風がやってきました」みたいな雰囲気の中で送別会は行われるのだろうか。わざわざそんな日に旅立たなくても、といった風情で。
  1. 2008/04/20(日) 14:11:41|
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その人間。大仰

  外を歩いていると「究極の親子丼!」という看板を掲げているイカ焼き専門店を見つけた。なぜイカの専門店が、しかも鶏肉をメインとした料理を「究極の」などという大仰な枕詞をつけているのかがわからない。わからない、ということは挑戦しなくてはならない。理解できないことから逃げるのは簡単だ。否定するのも簡単だ。理解と寛容を持って物事に当たってこその人間。大仰なことを考えながら私は他の全ての客と同じように暖簾をくぐる。そして食べる。二種類しかないランチメニューのうちの一つ、親子丼を。もう一つは牛スジと蒟蒻丼だ。イカ焼き専門店を謳っておきがならランチは全くイカと関係ない。自由だな。これが資本主義というものなのか。ともあれ私は食べる。自由を噛み締める。自由の味は、思いのほか本格的だった。イカ屋の親子丼、これだけ聞けばまず期待する人間の方が少なかろうがそのような客の思いを裏切りたかったのだろう。これは素晴らしい仕事ぶりだ。というかむしろ、この卵を生んだ鶏をまず褒めてやりたい。それから少々言い難いけれど、肉片になってしまった親の方の鶏にも感謝したい。彼らが渾然一体となって生み出した親子丼を、飯島という一人の人間が食べている。おお、この奇跡。知っているかね。奇跡と言うのはとても日常的に起こっているのです。あまりに頻繁なので誰も気づかずに都合が良いときだけ「必然」とか「運命」とか抜かす。都合良く起こるもんだけに神の手が関わっているわけではないのに。ともあれそう、親子丼でした。「ゆずみそをつけてみろ」とか小癪なことを店員に言われ、つけてみるとなるほど良い香りになった。おいしいがー。ちくしょう。イカ屋なのに。イカ屋というのが頭で邪魔をして素直に「おいしゅらしゅー」とか言えない飯島。そしてまた生意気なことにデザートとして親子丼にも入っているナイス卵で作られたプヂングまでついてきている。これがちくしょう、「あんたこっちで商売いけますぜ」というくらいに良くできている。イカはアレルギーがあって私は食べられないのにこの店の専門であるイカが食べたくてしようがなくなってきた。飯島モトハル、顔で笑って心で泣いて。
  1. 2008/04/20(日) 13:09:05|
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西口とか東口とか鬱陶しい

  ライブーに来た。池袋駅から徒歩五分の会場なのに一時間以上かかった。これだから私はメェグロー以外の場所は好きじゃないんだ。駅の出口が西口とか東口とか鬱陶しい。ほらまた間違えてまるで違う街を飯島が彷徨っているよ。雨が降っているからずぶ濡れだよ。傘なんてダサいものはささないぜというダンディズムめいた気まぐれ。だがしかし、時間はかかったけれど到着することは出来た。へへっ、人間やれば出来るんだよ!全ての道はローマに通ずって言うしね!今回のライブーは私の元同僚が出ているものだ。今現在私は東京は世田谷の三軒茶屋で地味な仕事をしているのだけれど、彼は先月まで私とともに地味な仕事をしていたのだ。だから私が知っているのは同僚としての地味な彼なのだけれどライブーをするというのでこれは一度お邪魔せねばなるまい。お土産を買って行かねばなるまい。そんなような義務感と好奇心に駆られて飯島は来た。
  唄っている人々を私は見つめていた。聞いていた。それは飯島に色々な衝動を与えてくれた。私はヒップホップをやりたくなり、バンドを組みたくなり、DJをやりたくなった。そもそも私の本職は写真家だ。あまり逸脱してはいけないとは思うのだけれど「やりたいねぇ」なんてつい口に出す。すると「やりましょう!」と周りが乗せてくる。向こうは軽い気持ちで乗せただけだがそこは調子に乗りやすい私のこと。勝手に妙な方向へつき進んでしまう。それで随分妙な目にもあったが面白い目にもあってきた。2008年春、私の何かがまた目覚めようとしています。良い悪いの話は別として。
  1. 2008/04/20(日) 00:08:29|
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写真家で着物デザイナーで何かそんなようなものです。

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