カル会

芸術家日常

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たまがあ

  ザギョウを食ギョウ。一昨日くらいに食べようと思ったら人が一杯いて諦めた店だ。あの時は翌日が祝日というハードルの高い日だったからきっと混んでいたんだ。今日はきっと平気だ。そう思って行ってみたらほらご覧よ。飯島の頭が当たった。「あたまがあたった」ではないぞ。「ずがあたった」と読むのだ。「思った通りである」という意味の言葉だ。飯島のブログはためになるなぁ。頭がよくなるなぁ。そんな良い頭は刈り取ってしまおう。首のところからばっさりと刈り取って猫に臭いをかがせてみよう。ともあれ話はザギョウである。よくあるチェンー店のザギョウなのだが一度赤羽のチェンーの店に入ったらあまりにも味が他店と違い、グンバツのムキムキだったのでなんだか店の味比べが癖になってきてしまったのだ。というわけでここのザギョウですが三軒茶屋支店以上赤羽支店以下の感じだった。中の下くらいかも。というのもなんだか半分くらいザギョウの閉じが甘かったのだ。タレにつけると中のうまい分が抜けてしまうのよ。そしてタレもどんどん薄まってしまうのよ。やーね、これだから若い人って。ともあれ食べ終えて店を出て電車に乗って帰る。最近メェグロー駅を出たところでチーズケーキを売っていたりプリンを売っていたりするのだが私はここ数日そこで団子を買いたいと思っているのだ。思っているのだけれど団子屋が来る時に限って団子が食べたい気分ではない。今日もまた団子が食べたいと思ったけれど団子屋がいなかった。しかたなくきな粉プリンみたいね変なものを買って帰ったら食べながらむせてばかりで味も何もなかった。吸わないとうまく食べられないのに吸うときな粉が気管に貼りつく。団子が食べたいよ私は。きな粉のかかってない団子。みたらしがいいな。今度団子屋が来たら逃すまい。まず左ジャブを当ててひるんだところでボディーだ。そして足を止めてからはもうガンガンに買う。みたらし、あんこ、またみたらし。そして私は店主の死体をまたいで自宅に帰る。そんな日を夢見て生きています。
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  1. 2009/04/30(木) 21:44:37|
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ツーフ

  マグロステーキカツだって!?ごくり!あの魚の王様マグーロの君が調理法の王様であるステーキとタッグを組み、大衆の王者「カツ」となって降臨するなんて一大事じゃないか。盆と正月がセントパトリックスディにやってきたような勢いを感じる。アラーと仏陀とハリストスが遊園地のコーヒーカップでぐるぐる回っているようなものだ。これは期待せずにはいられない。夢と希望で胸を一杯にして社員食堂にやってくるとなんということはない。ただ魚の切り身が揚がったものが置いてあった。だが中身はやっぱり違うだろう。何せ魚の王様のステーキになったものが入っているのだ。これが尋常な味で終わるはずはない。がぶりと端からかじりつく。むう。実はがぶりと端からかぶりつかなかった。私はそんな品の無い食べ方はしないのです。端の方を一口分だけ箸で切ってから口の中に放り込む。ほう。ほお。ふう。ふむ。ツーフー。あれね。普通。ってやつ?みたいな。名前負けもいいとこさ。王さまの名前を三つもくっつけたアレキサンダー・家康・ヌルハチみたいな名前なのに何この佐藤C作的な風味は。たんなる赤身魚のフライじゃねぇか。タルタルソースの味しかしねぇじゃねぇか。けしからん!実にけしからん!期待をさせるだけさせておいて落とすなんて。まるで・・・えーと、まるで・・・。うまい例えがうかんで来ないが人生のようだ!生まれたと思ったらだらだら一生が過ぎていって結局死ぬんだ、みたいな。なんだよそれ!リコールだリコール!みたいな。ともあれマグロステーキカツも私の人生もとりあえずはこの世に生れてなんだかんだで生きています。マグロステーキカツは今日、すべて平らげられ残ったものは廃棄されてしまったので生きてはいないのですがその分はご安心ください。飯島が、あ、この飯島が代わりに生きて進ぜましょう。頃合いまではなんとなく。私が死んだら誰かが私の代わりに生きればいいよ。インドあたりの人が適当に自覚してふわふわっと頼んまさ。
  1. 2009/04/30(木) 12:24:41|
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だな牛

  ずーっと食べたかった五反田のカレーをようやく食べた。五反田のオヒスにいたときはちょくちょく来ていたのだがオヒスが北区になってからずっと足が遠くなっていた。だがようやっと。ようやっと来ることが出来た。懐かしいぞ牛煮込みカレー。久しぶりだな牛煮込みカレー。だが中々来られなかったせいでその間に味がどんどん美化されてしまい口に入れた瞬間少し「あれ?」となった。こんなもんだったっけ?まぁいい。私はいつものように付け合わせのらっきょうをモリモリ食べていく。無料だからといい気になって共用の器に入っているのに一人で半分くらい食べてしまった。まぁ、他の人はらっきょうなんて目もくれてなかったので別に構わないだろう。隣の人間などはライスの上にルーをいきなり全部かけたと思ったら(この店はライスとルーの容器が別々に出てくる)いきなりなんと本を読みだしたのだ。斬新な食べ方である。ライスとルーを馴染ませているのだろう。でも混んでいる店内では迷惑な食べ方だ。そこへ行くと飯島さんは流石であるらっきょうこそ一人でほとんど食べてしまったがさほど時間をかけずに平らげてすぐにお勘定さ。金を払って外へ出る。今日は随分月が細い。いや、ウソだ。実は月は見ていない。月が細いと思ったのは昨日のことだ。ふふ。本屋によって本を買う。三冊買う。昔から本は三の倍数でしか買わないのだ。ウソだと思うなら私の過去の日記を読んでみろ。ウソだ。自宅に帰ってコーフィを飲む。ウソではないが真実だとしてもどうでもいい真実だ。
  1. 2009/04/29(水) 20:46:44|
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檎のフ

  大崎まで歩く。中目黒から一時間以上か。写真のアイディアーがうまいこと浮かばなくてこうもやもやしていたら随分遠くまで来てしまった。流石に疲れてしまったので大崎の巨大ビルヂングの中に入ったキャッフェに行く。巨大ビルヂングはえらく複雑なつくりで迷ってしまった。そしてなんだか奥まったところで営業していたハイチコーフィーの店に入ってハイチコーフィーを飲む。コーフィーと言えば私はアメリカーノしか飲まない私だがハイチコーフォーというのは初めてだ。飲んでみるとバカにすっきりしている。なるほど南国だからきっと背脂チャッチャ系のこってりしたコーフィーは飲みたくないのだろう。しばらくただ飲んでいたがそういえば店員が砂糖とミルクと見慣れない瓶を一本置いて行ったな。何の説明もされなかったがこの瓶は何者だろう。スップーンに一滴垂らして舐めてみるとうひゃっほう。これはきつい。ブランデーじゃないか。ハイチの人はブランデーをコーフィに入れるのか。おもしろいじゃないか。入れよう入れよう。ばっすんばっすん入れてごくごく飲む。少し香りが良くなったような気がした。それから甘いものとしてパンと林檎のフランというものを頼んだら熱々のフラン(プリン)が出てきて心底驚いた。考えてもみよ。冷たいものと思ってフランをすくい、口に入れたら飛び上がるほど熱いのだ。スップーンを投げ捨てて「責任者を呼べ!尼寺へ行け!」と叫びそうになったほどだ。でも呼ばない。大人だからね。子供だったら呼んでもいいのか。そうとは限らないなー。コーフィを飲み終え店を出る。なんだか食事もハイチ食を出しているみたいで興味深い。ゴールデンなウィークに入ったらまた来てみよう。そしてゴールデンハイチー気分でゴールデン飯島としてゴールデンに日々を過ごすのだ。キラキラな休日カッコイイ!
  1. 2009/04/29(水) 17:29:40|
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マトのイタ

  中目黒のイタリアンハンバルガーの店に行く。先日初めてみつけてバルガー好きの私としてはその時からずっと胸が躍っておったのだ。ハンバルガー!しかもイタリーだって!どんなにファッショナブルなバルガーなのだろう。もしくはもの凄いスピードで走り出すのではあるまいか。いやいや基本に忠実にパスタが挟まったバルガーなのかもしれない。何にせよイタリアだ。あのイタリアだ!ピサの斜塔!そうか、斜めのハンバルガーか。しかしそれはちょっとつまらない。ともあれどんなバルガーだかは食べてみれば一口でわかる。店に入って豚の三枚肉とグリルされたプチトマトのイタリアンバルガーを頼む。ふふふ。出てきてああ。なるほど。膝を打った。パニーニじゃないか。イタリアンハンバルガーとか言っているけれど、これただのパニーニじゃないか。実はパニーニは複数系で単数形だとパニーノ。だが今回はパニーニで通そう。こいつにかぶりつくと三枚肉の塩気がきつい。パンに振ってある塩気がきつい。だがこのきつさこそがイタリアよ。ボンジョールノー。全然イヤな塩辛さではない。これぞ!とかまさしく!という塩辛さだ。本物を知らないけれど本物っぽい感じの塩気だ。だがサービスでサラダかポテトか聞かれ、ポテトはでんぷんが何でカロリーヌが高いのでサラダを頼んだらライスサラダで普通に炭水化物だったので少しげんなりしたが味的にはイケイケゴーゴーだった。ポーツマスポーツマス。更に甘いパンとコーフィーまで付くのだからいたせりつくせり。どうも申し訳ございません。その気遣い、気に入った!飯島が贔屓にしてやろう。とはいえ一度行った店は当分来ないのが飯島の流儀。次回来るのは三ヶ月後か半年後か。また来たら贔屓にしよう。この場合の「贔屓」が何を意味しているのか書いている私でも全くわからないのだけれど。
  1. 2009/04/29(水) 12:09:26|
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したステ

  こんなにまずいステーキは無い。驚いた。ステーキというのは無条件においしいものだと思っていた。だが世界は広い。あの切って焼くだけという簡明この上ない料理でもここまでまずく作る人がいる。しかも私はこの下らない肉片に千円払って飲食店で食べたのだ。駒込だ。元々私は駒込でザギョウでも食べて行こうと思ったのだけれど目当てのザギョウ屋は地球滅亡を前にした人々がシェルターに殺到するがごとき混雑具合と殺気を帯びていた。これは無理だ。競争心が極端に薄いポンチ頭の芸術家では彼らの中には入れない。飯島の頭の上で核爆弾が炸裂して一瞬で揮発してしまうのです。ともあれ東京は今日も平和で私はとりあえず駅の近くに戻ったらばあるじゃないか。まだオープンしたてなのか妙に真新しいステーキ屋が。値段もお手のゴロ。どれ一つ呼ばれてみようかね。って入って店の名前を冠したステーキを頼んでみるとぎゅんぎゅんに熱した鉄板に生肉が乗っただけのものが出てきた。おいあーた、生だよ。指摘しようと思ったらば店員が先をこす「裏返してよく焼いてから食べてください」ふむ?ステーキってミディアムレアが食べ頃だと思っていたけれど「よく焼いてから」というのが引っかかる。それってウェルダンを勧めているということか?ともあれそんな助言を聞く飯島ではない。素直に聞いていたら今頃もっと出世している。というわけでミディアムレアーで口に入れてみるとこれがまぁひどい。全体的に柔らかいけれどなんだかケミカルな柔らかさがある。それなのにしっかり筋は残っていて口の中が絶妙な気持ち悪さ。味付けもどこの100円ショップで買ってきたタレなのか味に深みもなにもあったもんじゃない。これならば塩コショウの方がよっぽど気がきいている。とはいえこの肉に塩コショウではダメさが目立って余計食べられたものじゃないかもしれない。褒めるべきポイントを探しながら食べてみたが見事に一つもなかった。生まれて初めて食べたステーキがこれだったら確実にステーキが嫌いになる。なぜこれで客が入るのか不思議だが私以外の客を観察してみると皆例外なく「肉を食べている」というそれだけに感動している人ばかりだった。確かにこれは肉だがよく考えよ。その辺の牛丼チェーンで使ってるウシの方がよっぽど気がきいている。あちらもクズ肉が多かろうがしかし、クズ肉の使い方をキチンと心得ているのだ。だがこのステーキ・・・。客もウシも何もかもバカにしている。人類に絶望している。こんなものを日々作り続けている主人がなんだか哀れに思えてきた。もしかして2,3ヵ月してみたら自殺してるんじゃないか。ともあれ私にとってはただのステーキ屋のオヤジであり当のステーキは撃滅的にまずい。歯の間に挟まった肉片がちっとも取れない。楊枝二本が折れてしまい、はぐきに刺さって血が出てきた。それでもやっぱり肉片は出てこない。怒り狂った飯島は食べたくもないのにアイス最中を買ってがつがつ食べる。ちくしょう!肉片が!肉片が!
  1. 2009/04/28(火) 21:41:33|
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ればつけ

  餃子か、もしくはカレーを食べようか、とそのように考えながら地下鉄に乗っていた。そして餃子屋のある駅についた瞬間に私は考えた「私は本当に餃子が食べたいのだろうか?」自問自答していたらドアが閉まってしまった。次にカレー屋のある駅にやってきた瞬間また私は考えてしまった「私は本当にカレーが食べたいのだろうか?」やはりドアは閉まってしまった。気がつくともう目黒である。何を食べようか。右に左に歩いていたらつけ麺の店があった。そういえば最近つけ麺にはひどい目しかあっていない。つけ麺というのはドブ汁に天然ゴムをつけて捨てるだけのもののような気がしてきたがまさかそんなはずはない。本当にそんなクソ料理だったら日本人が先を争って食べる現実をどう説明すればいいのか。もしかしたら日本人が全員ドM化してきて皆でまずいものを食べて喜んでいるのかもしれないが日本人の一人としての飯島としては俄かに信じがたい。確かに私はまずいものが好きだ。でもそれは条件付きのまずいもの好きだ。理解できない異文化の味や愛があふれるあまりとんでもない方向へ進化してしまったまずいものが好きなのだ。ただドブ水をすくって私の前に置かれても激怒してテーブルをひっくり返すだけである。他の日本人も私ほど極端ではないにしろ似たような感性の持ち主だろう。であればつけ麺がまずいというのはどうにも腑に落ちない。実際はうまいはずだ。だが飯島側の個人的な落ち度によって理解できないのだろう。というわけでつけ麺屋に入る。私は何度裏切られても諦めるということを知らない。2,3度食べた程度でまずいものだと食べ物を切り捨てることはしない。人間も文化も進化するものなのだ。さぁ、人類の英知を見せておくれ!というわけでつけ麺を食べるのです。それもチャーシューと卵つけ麺という店の中で一番高い成金つけ麺を食べる。私はきっと他の客から嫌らしい人間だと思われることだろう。まぁ、思われないことは知っているんですけどね。そいでずるこんずるこん食べるのですが、あら、ちょっとこれおいしいじゃない?どう、母さん?あら、そう。母さんいなかったわね。もう、春だものね。というわけでいつにもまして満足して自宅に帰るのです。ふふ。缶コーフィでも買おうかしら。家に帰ってコーフィ淹れるのめんどくさいからね。と思っていつもの自販機でコーフィを買ったらあわわ!「つめた~い」じゃないか!私はコーフィはホットしか飲まないのだよ!結局自宅でコーフィを淹れる。さっきの缶コーフィはいつかお湯でぐらぐらに煮てから飲もう。
  1. 2009/04/27(月) 20:54:58|
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立を死

  春の鶏肉とやらを食べた。ああ、社員食堂での話ですよ。春の鶏肉、というのは雰囲気のことで何かもうちょっと料理らしい名前だったのだけれど社食のことだ。忘れてしまった。ともかくグリルした鶏肉を生野菜に乗せ、その上から白いソースとトマトがかかったちょいと洒落たチキン野郎さ。へっ。見た目は洒落こんでみたが味はどうだい?ふむふむ、あら意外。割と普通じゃないのですか。このメニュールにはなんだか気概を感じるよ。常日頃は100年前から変わらぬ献立を死んだ目で作り続けている人間が「春だから!」とやる気になって作ったものだ。あたしゃこういうのを待ってたんだ。まずくたっていい。気概を見せてくれ!私も負けじと気概を見せるよ。私の気概は芸術に直結しているからわかりにくいけどとりあえず何かがピカピカ光り出す。そして何かが溶けたり流れたりした結果としてまた意味不明なものが目の前に権現する。グルーブする猿。よかとよよかとよ。そういえば私のオヒスの人々が結構このブログを見ているらしい。あまり人に見られることを意識せずに書いているのでわたくしのイメージが崩れるんじゃないかと心配だ。この日記の通りの珍妙人だと思われると癪だ。でも本物は日記の人以上に珍妙人だとも言われるのであるいはその程度のイメージで済むのであればある意味マシなのかもしれない。ともあれ春の鶏肉だ。次は梅雨の鶏肉だろうか。ああ、残念ながらまずそうだ。梅雨のキノコとかなら、ああ、やっぱりまずそうだ。梅雨のコーヒーとかならまだなんとかな雰囲気がいい。でも昼飯が「コーヒー定食」とかいって白いご飯とコーヒーだけだったら私は血圧が五倍くらいに上がるね。でも20秒くらいで冷静になって「むむ、しかしこれは独創的だ・・・」と意外と納得してしまうかもしれない。そういうものを、私は期待しております。してないけどね。いや、してるけどね。どっちでもいいけどね。
  1. 2009/04/27(月) 11:53:28|
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塩醤

  祖母を訪ねる。意味もなくなんとなく訪ねてみたのだが夕飯を出してくれた。サルモンのバター焼きだ。相変わらず脂ぎったものを食べている。一つ口をつけてみるとしかし、どういうわけか味が無かった。もしかして無塩バターで炒めただけなのではないか。醤油をかけてみたがこれもまた味がない。ないわけではないが、薄い。減塩醤油か・・・。それにサルモンのバター焼き以外のメニューがなぜかただ茹でただけの味のないゴーヤーやらどこかで買ってきたようなへのへのに煮崩れた煮物などになっている。いつか食べたことのある料理だ。これはもしや・・・。聞いてみればやはりそうか。母が関わっていた。残念なことに私と母の味覚は全くもって噛み合うところがなく、リンゴとゲーデルの不完全性定理ほども違っている。だから私は中学の頃に母の料理に耐えられなくなって後はずっと自分で家族の分の飯を作っていた。その母の味が少しずつ祖母の家で再現されようとしている。悪夢だ。悪夢の再来だ。今度は祖母の家で私が料理をすることになるのか。次回はうまいものを持ってくるよ。そう言って私は去る。ショックのあまりパンを買ってくるのを忘れた。一度家を出てパンを買う。今度は公共料金の支払いを忘れた。また家を出て支払いに行く。定額給付金の申請封筒を出し忘れた。DVDを返し忘れた。もうダメかもわからんね。
  1. 2009/04/26(日) 20:35:50|
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テ」とい

  イェビスに新しく出来たティーのエスプレッソの店に行く。ティーのエスプレッソって、はは。普通に考えれば渋くて飲めない茶ではないか。でもそれでは商売にならないのできっと何かすごくおいしくなるフィーチャーを施しているのだろう。そう考えて「ティーラテ」というものを頼んでみたのだけれどなんだか渋い茶に牛乳がもりもり入っているだけのわけのわからない飲料だった。おいしさが全然わからない。一体どんな客が飲んでいるのかと思ったらひどい俗悪臭丸出しの女子大生二人組、英字の本を机に置いたまま特に開いたりしない女子、辺りをうかがいながら電子辞書をいじくる男子、お金が服を着て歩いているようなセレブ妻と子、など随分偏ったジャンルの人々ばかりだった。奇態な髪型の芸術家は私一人だし私はどこに行っても似たような類型はいないのでいつも通りと言えばいつも通りなのかもしれない。まずいティーラテを飲み干して、飲み干した辺りでスィロップを入れれば良かったのかもしれないと思ったがとりあえず飲み干してしまった後でたい焼き屋によってたい焼きを買う。カロリーヌの取り過ぎというのは重々承知の上だがこうでもせねば気が晴れぬ。「薄皮」と「厚皮」の二種類があったので珍しい「厚皮」を買ってみた。食べたみた。本当に皮が厚くて皮しか感ぜず餡子を全く感じることのない斬新なたい焼きだった。ストレスがたまった。早足でぐんぐん歩く。
  1. 2009/04/26(日) 15:16:09|
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ットでお

  ハンバルガーを食べるガー。これが昨日か一昨日かその辺り言っていたハンバルガーを食べるためのハンバルガーを食べない日の集大成である。イェビスに新しく出来たニューヨークスタイルを売りにしているハンバルガー屋だ。ニューヨークといえばそう、飯島ですね。一年ほど住んでいました。ですがハンバルガーはその辺のウヘンディーズやホワイティーキャッスルと言ったファーストフード的なところでしか食べていない。だから「ニューヨークスタイル!」と言われても本場のニューヨークスタイルなのはわからない。きっとそうなのだろうとなんとなく納得するしかない。ネットでお店の風評を探ってみると「まさにニューヨークといった雰囲気!」といったことが書かれているがそうなのだろうか。一年住んでみたがこんな雰囲気だっただろうか。飯というと中華街でマレーシア料理ばかり食べていた印象があるのであんまりよく覚えていない。ともあれハンバルガーだ。なんだか他所の高級バルガーよりも若干高いバルガーだ。超高級バルガー、というのは言い過ぎだが高級の少し上級の級バルガーではあるまいか。ポテトもドリンクもついていないのに二千円近くするのぜよ。そこに私はピクルスだけ追加する。ハンバルガーで取り過ぎたカロリーヌをピクルスの酢力でなんとかしてもらおうという寸法さ。酢力というのは私の想像の上の力だ。だが酸っぱいものは大概身体にいいし、なんとかしてくれるんじゃないかと期待している。頼むぞ!酢!しかしピクルスはわざわざ追加で注文しなくてもハンバルガーについてきたのでピクルスだけ量が異常になってしまった。ヤラレター!高級店はポテトはつかないけれどピクルスはつくのだな。ともあれピクルスをお供に噂のバルガーを食べてみたのだけれどなるほど他の店のバルガーとは一線を画していた。でもその一線は画さなくてもいいんじゃないか?という線を画していた。なるほどハンバーグとしてはおいしいのかもしれないけれどハンバルガーにしてしまったことで何か残念なオーラが全体に漂ってしまっている。バンズも一口目はさっくりしていて「お!」と思ったのに三口目の頃には肉汁が染みてべちょべちょになってしまった。ううむ、このハンバルガーのためにこの数日間バルガー断ちをしていたと思うと少し私の思いがもったいなかったやもしれん。だがまぁいいさ。ここのバルガーとはいずれ対決しなければいけないと思っていたのだ。私の地元であるイェビスで入ったことがないハンバルガー屋を見逃しておくわけがないのだよ!バルガーか、そもなくば死か!だ。で、死ぬのはイヤだからバルガーでしたよ。食べ終えたので勘定を払いますよ。なんだか口が納得していないのでお茶でも飲みましょうかいね。
  1. 2009/04/26(日) 12:07:22|
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たらあれ

  から揚げ定食を食べて帰る。本来の予定では飯田橋辺りで電車を降りてその辺で麺類でも食べて帰るつもりだったのにメェグロでから揚げ定食という現実よ。というのも雨が、あの空気読まずの読み人知らずの雨が降っておったからだげな。本日の東京は朝からくんくんに雨が降っていたのだけれど私が家を出るほんの一瞬だけ雨が降っておらなんだ。だから飯島、天気予報で「雨のち曇り」というのを見ていたので「ああ、なんだもう雨は降り終わったのだな」、と早の合点よ。傘を持って出ようはずもない。そしたらあれさ。とんでもなく降るでねぇの、雨。もうべひょんべひょんのぐひょんぐひょんになるまで濡れて見知らぬお爺さんがそっと私に傘をさし出すくらい(実話)濡れそぼってしまったのだ。これは飯田橋で降りて云々など気持が折れて全く考えることすらできなかった。早く家に帰りたかった。屋根のある家に。でもやっぱりただスピーディーに自宅に至ったところで食べ物がないのでメェグロ駅と自宅の間にある中華料理屋でから揚げ定食を食べるのです。前回食べた時と同じ品物の名前なのに味が全然違うのでした。素晴らしい。ここに驚きがあるぞ。超高級店であればいつも同じ味で料理を提供してもらわないと困るけれど、普段使いの店は食べるたびに微妙に味が変わるくらいがちょうどよい。さあれば飽きない。商いのコツは飽きないことにございます。みたいな。で、食べ終えて帰る。またぐしょぐしょに濡れながら帰る。家に帰ったらコーフィを淹れよう。そして淹れた。インスタントだ。お湯が沸くのが待ち切れず、ぬるま湯で淹れてしまいただ渋いだけのくそ水を作ってしまった。二口までは我慢したけれどそこから先はシンクに流す。飲み物じゃないから捨ててもいいのです。もう一杯淹れる気にはならなかったのでとりあえず服を着替えます。
  1. 2009/04/25(土) 22:27:55|
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からカ

  三日連続でカレーを食べている男がいるよその男は飯島だよ。はっ!違うんですそれは違うんです。私は別にすごく素晴らしくカレーを愛しているわけでもなければ次期キレンジャーに立候補を考えているわけでもなく、「社食」だったから・・・。それも土曜だったから・・・。土曜の社食はカレーしかないのでした。いや、厳密には牛丼もあったのでだがその牛丼が名ばかりの牛丼で吐瀉物を白米の上にぶちまけたような極めてグロテスクな容貌だったのだ。カレーだって見ようによってはナニに似て・・・げふんげふん。ともあれカレーの方が随分まともな食べ物に見えた。だからカレーを食べたのだ。仕方なかったんだ!誰だって私と同じ状況に陥れば同じ行動をとったはずだ!私は、私は、運が悪かっただけなんだ!頼む、なぁ、そんな目で私を見ないでくれ・・・。カレーは、そんなに、おいしくなかったです・・・。所詮社食のカレーでした・・・。そんなもののために私は・・・!でも、許してもらおうとは思っていない。私は自分で、牛丼ではなくカレーを選んだのですから。私はそのカロリーを一身に受け、いずれ熱として消費されるまで罪をつぐない続けましょう。私はカレーを食べたのだから。ああ、カレーを食べたのに物足りなく、なぜかまたカレーが食べたい。五反田にあるカレー屋に行きたい。あの無料のらっきょうをむさぼり喰いたい。もしかして私は今までらっきょうが食べたいだけなのに身体が勘違いしてカレーばかり食べてしまっているのかもしれない。ああ、あすこの牛すじカレーが食べたいのです。こうして私は罪を重ねる。この身を、カロリーとともに沈めて。
  1. 2009/04/25(土) 12:12:42|
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スで人

  昨日に引き続いてまたカレーを食べる。市ヶ谷にキーマカレーの上に普通のカレーをかけたカレーオンカレーカレーが食べれるカレーと聞いたのだカレー。だから私はやってきた。昨日までの予定ではカレー以外のものを食べるつもりだったのだけれどなぜか今日同僚が皆カレーを食べていたので私もついついつられてしまったのだ。あの飯島が!常にマイペースで人に「あわせる」ということをしない空気を読まないあの腰の低い傍若無人さを持ち合わせた飯島が!人につられるって、あるんですねー。なんと飯島さん、人に「共感する」ということもできるのです。それこそが強さの秘密。何の強さかは知らないけれど。というわけでキーマカレーカレーを食べたのですが、本当にただキーマカレーにカレーをかけただけの味だったので驚いた。二つの力が一つになって、1+1が200にもなって!というのを期待していたのに普通に1+1は2であった。算数はなるほど世界の共通言語。偉大だわさ。んだーわーさー!というわけで感動も少なく道場に行ってイスラエル武術を行う。受け付けで困っていたニューヨーカーを英語で救う。久しぶりに英語を喋った。また次に来た時も喋ろうと思う。でも誰がアメリカ人だかわからないな。昔、ロシア人に執拗に英語で喋りかけて向こうを困らせてしまったことがあるので相手の国籍には慎重です。ニューヨーカーは私がキャリフォルニアに以前住んでいたと語ると「ああ!だからそういう髪型なのか!」と左側だけ刈り上げた珍妙刈りを指さすのです。私も私で「そうだよ。カリフォルニアインディアンをリスペクトしているのさ!」と適当に合わせてしまったがこんな変な髪形のインディアンはキャリフォルニアにはいない。日本にもいない。どこにもいない。私はいない。
  1. 2009/04/24(金) 23:01:08|
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なそのフェ

  すき焼きペッポコピー。昼飯プー。シャインショクドで食べウるます。私は別に肉が食べたいの人ではなかったのですが、焼き屋気にはあの白いのがあるじゃないでノすか。あの白イの。トゥーフー。ミーはあのトゥーフーが大好きで、トゥーフーも私が好きで相思相愛で結婚している仲なのですが、あの白イのが入っているのですき焼きを食べるノでした。肉はまぁ、おまけみたいなもんですよ。お毛けみたいなもんですよ。誰だっ!ああ、私か。どうも、紹介が遅れました飯島です。その誰あろう飯島がすき焼きを食べるノでしたが肉はやっぱりシどいものでしたぜ。牛肉ドンブラリの専門店、吉野ギュウや松ヤマのウシ肉よりもまずいのでした。あれよりも更にスジっぽく、あれよりも更に味気ない。牛のどこの肉なんだろう?尻尾の先のあのふさふさしている部分じゃあるめいか。もしくは額のところとか。絶対に食用とは思えない肉だ。だがそれでも頑張る健気なトゥーフー。肉の汁を吸ってふくよかなそのフェイスはまるで弁天のよう。というか弁天は見たことがないので想像の上での弁天ではございますが。あと春菊もいたけど木の棒を喰ってるみたいでまるでホゲだった。幼稚園の頃にあまりにまずい春菊を喰わされてその場で嘔吐したのを思い出した。幼いころから味覚は一丁前で苦労した記憶ばかりが残っています。そんな私は成人してもやっぱり味覚のせいで苦労する。一年に4回くらい「ああ、この味覚で良かった」と思うけれどそれ以外は全部後悔しているのだから神様もまったく余計なものをくれるものだ。私が死んだら神様のところに行って「いらんかったよ」と言っておこう。というかもう私が死んだ後なので味覚がいらかなったからといってどうというわけでもないけれど。でも神様が「そうかそれは可哀相なことをした」と言って死んだ私の味覚を奪い取ってしまったらそれはそれで困るかもしれない。死んだ後なので困らないかもしれないが生きている現状の感覚で考えればなんとなくイヤなものだ。持っているものが減るのはいつだってなんとなくイヤなものだ。これが悟りを開けていない凡俗の愚昧な思考回路さ。へへ。笑えよ!我に春菊ほどの価値もなし!昼飯はどんなにまずくとも、ああ、昼飯ほどの価値はある。人間のみ他の価値観で値打ちを図られる。ああ、私は昼飯になりたい。昼飯として、死んでいきたい。
  1. 2009/04/24(金) 12:10:25|
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ガー。とな

  個人的には電車に乗っている時から、いいえ業務中からずっとハンバルガーが食べたいのでした。でも食べるのはやめておこう。なぜなら私は日曜に良いハンバルガーを食べたいと考えているからなのだ。その時に今日食べてしまっては感動が薄れる。私の中のハンバルガーへの思いを育てなければいけない。大きくおなり、私の中のハンバルガー。となるとしかし何を食べようか。何か麺類が良いかな。ラメーン?いいえ、それは明日食べたいと思っているのです。育てているのです。じゃあうどん?いいかもしれないけれどよくないかもしれない。あまり心に響かない。悩みながら歩いているとインドカリー屋の前に出た。ふむ、いいかもわからんね。最近カリーと言えば日式カリーしか食べていなかったからドインのバホンのカリーを食べるのも悪くない。ドアの隙間からにゅうと入ってチキンカリーとナンをば頼む。やってきたカリーとナンはよくありそうな感じのインドカリーだった。まさにステレオタイプなインドカリー。今まで何回も、日本でもキャリフォルニアでもニューヨークでも食べたようなインドカリー。ああ、初めて食べたインドカリーを思い出す。その頃の私は中学生か高校生でカリーと言えば母の作ったやけに粘っこい不味いカレーか、私が作ったどこにでもあるインスタントなカレーかのどちらかしか知らなかった。その私のアイをオープニングさせてくれた初めてのインドカリー。イェビスガーデンプレイスの上の方にあるインドカリー屋だった。世の中のカレーはまずいか普通かのどちらかしかないと簡単で単純な結論を下していた私の脳髄に一撃をくれたあのカリー。チキンカリー。世界よインドになれ!私の心は感動に打ち震えていた。そのままガーデンプレイスの32Fから飛び降りてもいいと思った。実際は飛び降りなかったが。その、あの瞬間を思い出した。どこにでもあるティピカルなカレーを食べたせいでここのカレーの味ではなく私の記憶の中のカレーが蘇ってしまった。なんだかテイクアウト専用で「ナンロール」とかいう不可思議なものもあるみたいだしまた来よう。一体何がロールしてあるんだろう。カレーか。カレー屋だものな。また来よう。
  1. 2009/04/23(木) 21:15:01|
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でロー

  ローリング・キャベッジ(ロールキャベツ)か。いいじゃないか。一人暮らしの男性の家に行って初めて作る料理でよくあがる料理だけれど知っているか。男子でローリング・キャベッジが好きな人間というのは滅多にいない。それをクリームソースで作るとますます評価が下がってしまうのだけれど今でも女子どもはローリング・キャベッジをただ一つの選択肢だと思い込んでいる。もしくは肉じゃが。男子代表として言わせてもらうとどちらも別にそんなに魅力的ではないよ。だが今日の社食はローリング・キャベッジだというではないか。久しぶりなら良いものだ。トマト味ならなおさらだ。しかし、社員食堂で私は固まってしまった。トマトソースのキャベッジ・ローリングだがパスータがキャベッジの下に目一杯敷かれている。このパスタ野郎め!てめぇのせいで台無しだ!これでご飯を食べたら炭水化物過多じゃないか!かといってご飯を食べなければあからさまにボリューム不足!この野郎、食べてやらん!私は違うのにするのだ!もう一つのランチ、「ハルマキとチンジャオロースー」だ!そしてもぞもぞハルマキを食べながら昔を思い出す。以前女子と中華料理屋に行き、何の気なくハルマキを頼んだらば女子がハルマキ大嫌いという変わった嗜好の持ち主で大変居心地の悪い思いをして大量のハルマキを一人で食べねばならなくなったのだ。まさかハルマキが嫌いな人間がいるとは思わなかったので大量にハルマキを頼んでしまったため、私もハルマキを嫌いになりそうになった記憶がある。だが今日は一人分のハルマキなので嫌いにもならずに普通に食べる。チンジャオロースーも食べる。ハルマキの方がおいしい。もっとハルマキを。ますますハルマキを。くれぐれもハルマキを!なんとか、なんとか!なにとぞどうぞよろしくハルマキです。そして食べ終えてコーフィを飲む。青雲、それはいつか見た光。幸せの青い雲。
  1. 2009/04/23(木) 12:27:21|
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どそのハン

  イェビスでスパゲッチを食べる。本当はイェビスに新しく出来たハンバルガー屋でハンバルガーを食べようかと思っていたのだけれどそのハンバルガー屋は夜はステーキ屋になっていた。私は別にステーキは食べたくないのだ。ハンバルガーが食べたかったのだ。入って「出せ!」と言えば出るのかもしれないが店の中を覗き込むと何やらエグゼクエティブな腹まわりの中年がたくさん中でステーキを食べていたのでなんとなく気おくれして入れなかった。土日にまた来よう。というわけでそのハンバルガー屋近くのスパゲッチ屋で茄子とベーコンのトマトソースパスータを賞味した。非常にクラシックな味付けで調子が良い時の私が作ったようなスパゲッチだった。だがこと料理に関してはここ十年近く調子が悪いので久々に昔の自分が作ったようなパスタが食べられたのでそう悪い気はしなかった。でもそれで千円近く取られることについては若干の不服を感じるのを禁じ得ない。ともあれ帰ろう。歩いて帰ろう。写真のことだけを考えながら歩こう。だが歩いてすぐに「写真だけにとらわれるな!」と私の中の私が叫び始めたので家に着く頃には全然別のことを考えていた。高校球児がフランスパンを持って守備につき、外野に落ちてきたフライを処理しつつスライディングしながらサンドウィッチを作るところなどを。
  1. 2009/04/22(水) 20:57:45|
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救済がな

  行く予定は無かったのだけれど先ほど食べた昼飯があまりにもあまりにひどかったので心の均衡を取り戻すために市ヶ谷のケーキ屋に行く。ケーキイーターの間ではかなりのビックネームであり、当然私も相当前に訪れていると思っていたのだが何を食べたのか全く記憶にない。おかしいと思って先週くらいに私の甘味帳を改めてみると今まで数年間勝手に行ったことがあると思い込んでいただけで一度も訪れたことがないことが発覚したのだ。というわけでその有名店でケーキを食べる。一個では魂の救済がなされないので二個食べる。一つはオススメとあったストロベリータルト、今一つはパンプディングである。この店はマカロンとクレームアンジュ(レアチーズスフレ)が人気の店らしいがあえて外すのが飯島らしい。というか有名店の有名品なので既に食べたと思い込んでしまったのだ。だが初来店。当然食べた事はない。ともあれタルトとパンプディングは有名店の名に恥じぬ素晴らしい出来だった。香りの使い方がグンバツにうまいのだな。タルトの生地がこんなに香ばしくイチゴと生クリームを受け止めているとは、ちょっと流石だね。ここまで気を使ったタルトはそうない。生クリームも固めにしてイチゴとタルトの間でよく踏ん張ってる。流石だ。やるね。パンプディングもかなりの力量。ドラマがあった。左から食べて行ったのだけれど起承転結が出来ていた。最初はパンが強めに来て徐々にプリンへと移り最後にナッツがビシリと締める。やるぜなー。やるぜよー。もっと食べたくなった。でも流石に欲望の赴くままに食べ続ければ身体が「欲望にまみれました」という恥ずかしい体型になってしまうので自重する。自重して外を歩く。燃えろカロリー!ガンガン行け!出ろ!つくな脂肪!疲れたので川沿いでイスに座る。ふぅ。風が気持ちいいの。
  1. 2009/04/22(水) 16:13:53|
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風にアレ

  昨日の夜の日記、つまり一つ前の日記に書いた「豚肉のチリソースかけご飯」を改めて食べに行く。気になるものはすぐに処理して次に向かう。これこそが飯島スタイル。振り向かず前に進むための道。というわけでやってきた中華料理屋で何のためらいもなく豚肉のチリソースかけご飯を頼む。さっとしゅっと出てくるものと思ったのだが意外と待つ。厨房で何か凝った儀式をしているのだろう。豚の生血を浴びながらシェフがカンタータでも歌っているのかもしれない。待つことしばし。やってきた豚肉のチリソースかけご飯はお世辞にもうまそうなご飯ではなかった。カレーライスを多大にリスペクトしているというか大きく影響を受けているというかそのまんまスタイルをパクって中華風にアレンジしているだけのように見える。豚肉はなんだか妙に細長くこま切りにしてあるし他の野菜も同様だしで食感が著しく悪い。味付けもやたら辛い上にドロドロしていて方向性が見えない。ただなんとなくカレーに似せたヘボ辛い中華丼だ。食べながら小さな怒りと大きな悲しさに身を浸していた。気がつくとスップーンが止まっていた。ああ、食べ進むのがこんなにも難しいなんて。あのヘボりマックスの社員食堂でだって一度たりとも残したことがないのにもう食べられない。心の折れる音がした。ポキリ。ムリムリ。豚には大変悪いことをしたがどうしてもダメだ。あまりにもまずい。このまずさ、悪意こそ感じないが方向性を何も感じない。一度シェフに試食してもらいたい。それでもこれが「うまい」というのなら私は全力で彼を殴ろう。「ちょっと舌出して」って言ってから鋭いアッパーカットを喰らわせよう。千切れ飛ぶ彼の舌とともに私の心には平穏が戻るでしょう。半分以上、残してしまった。顔で笑って心で泣いて。実際は笑いもせずに仏頂面だが仕方がない。私が会計の時に「いやー、あはははー」なんつっていたら非常に恐ろしい。次の瞬間に懐から包丁を出して刺されそうである。だからなるべく無表情で金を払って外に出る。電車に乗って遠くに行く。
  1. 2009/04/22(水) 13:32:22|
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ぎり)やサ

  中華料理でも食べて帰ろうかな。メェグロ駅から自宅へと至る坂の途中にある中華料理屋に新メニュールが出ていたのだ。名をば「豚肉のチリソースかけご飯」と言う。ねぇ。なんだかいい響きじゃないですか。想像出来るけれど他の店で見たことがない。これはもしや相当な創造性を見せてくれるのではあるまいか。そんな期待に胸を膨らまして中華屋に歩いて行くのだけれどその前にコンビニエンスにちょいと寄る。パン買うのだ。だがそこでふらりと一周コンビニエンスの店内を歩いてみるとははー。最近のコンビニエンスはいろんなものが売っているのだな。おぬぐり(おにぎり)やサモウィッチ(サンドイッチ)も中々においすそうではありませんか。つい買ってしまった。おぬぐりを二個とサモウィッチを一つ。こうなるとアレだ。中華料理屋に寄る理由がなくなってしまった。寄ってもいいがそうするとこのおぬぐりとサモウィッチたちの存在意義がなくなる。可哀そうじゃないか。食べ物なのに食べられないだなんて。彼らは人間と違って「食べられるため」という明確な意思の元に作られたものだ。となればぜひ食べてやりたい。創造主の同族としては彼らの思いをかなえてやりたい。だからこそ私は中華料理屋に寄らずに自宅に戻る。そしてコーフィを淹れてからおぬぐりをサモウィッチを食べるのです。食べながら明日は中華料理屋に行こうかと考えていた。明日は休みなのです。予定は特にないのです。来たるべきゴールデンウィークは撮影に明け暮れる予定なのでその準備を致すのです。おぬぐりとサモウィッチは割と良い出来でした。最近のコンビニエンスはすごいです。これが24時間営業だなんて、世界はもう爛熟してしまったのでそろそろポトリと落ちるのではと。
  1. 2009/04/21(火) 21:24:35|
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はり社

  山菜ソースを鶏肉にかけたんだってさ。へー。しかし山菜ソースというのはよくわからない。山の幸をミキサーでどろどろにしたものだろうか。こま切れの山菜が混ざったどろりとしたものなのだろうか。実際目の前に見てみると誰が見ても山菜が入った普通のあんかけソースだった。こま切れというほどでもないざく切りの山菜がちょこちょこ乗っている。字面で見るよりもうまそうじゃないか。どれ一つ食べてみよう。食べてみると字面程度のおいしさに戻ってしまった。やはり社食。私はいつも驚きを求めているのに世間一般の人はそういうものは求めていないのだろう。私の心の琴線に触れる料理がちくとも出ない。まずくてもいいんだ。そこに愛があれば。そこに創造性があれば。だがこの社食に愛は無い。なぜここまで愛を抜けるのかが不思議なぐらいだ。人間何をしても思い入れが少しくらいは入ってしまうのが世の常なのにどうしてここまで魂を感じない料理を作ることができるのだろう。人間というのは私が思っているよりも自動人形に近いのだろうか。もしくは人間が作っているのではなく工場で加工された食品なのかもしれない。だとすれば納得できる。でも忘れないでね。山菜も鶏肉も元は生き物なの。敬意を、敬意を払うのです。鶏一匹が死ねばその分の葬式があったと知るのです。山菜一つかみが抜かれれば森の中に空洞ができるのを知るのです。でも私はヴェジタリアンでもなんでもないので普通に食事をする。命を喰っていることを自覚しながら食べるのです。知っておるか。人は別に人であることでえらいわけではないということを。
  1. 2009/04/21(火) 12:04:11|
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レーの王

  カレーを食べて帰る。市ヶ谷で電車を降りて食べるのさ。ここにカレーの王子さまの親父が出している店があると聞いてやってきた。王子様のオヤジというとその国では第一等に偉い人だが最近は王やら王子やらがそこら中にいてありがたみがちっともない。子供のことを「我が家の王子様(お姫様)」やらと言っているが自意識過剰もいいところだ。全員が全員間違いなくド庶民ではないか。自分はそこら辺にいる生きて死ぬ普通の人間だということをなぜ認めない。そんなに特別な人間でありたいのか!ならばまず姫とか王子とかちやほやさいたいという心を捨てろ!それが出来ればかなり特別な人間だ!と、まぁそれはそれとしてカレーである。私はやはりカレーの王子のオヤジを名乗っているのだから相当ラグジュアリーなカレーを想像していたのだけれど実際店舗の前に来てみるとよくあるチェンー店と同じようなつくりの店だった。だが味はどうか。ビーフカレーを注文す。そして食べる。うむ。割とよくあるビーフカレー。付け合わせのらっきょうが盛り放題なのは嬉しい。それからフライドオニオンを好きなだけかけられるのも慧眼だ。だが、それ以上のカレーではない。王子のオヤジを名乗っているのに全然気品もなければ独創性もない。いや、これはそうか。ある意味王道とはこういうことか。王道のカレー。面白味のないところがまさに王。ということはわが子を王子とか姫とか言っているのは「自分の子息は面白みがないただ王道を歩むだけの人間です」ということをアッピールしていると解釈できるのか。それならば合点が行く。ようやく腑に落ちた。人々よ、勝手に自分の子らを皇族として扱うが良い。紫の檻に閉じ込めるが良い。私は外で踊っているよ。ふわふわふらふら。くるくるり。
  1. 2009/04/20(月) 21:51:36|
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私はブリ

  まずは麻婆豆腐と思っていた。社員食堂のメニューを眺めながら私の心は麻婆豆腐と共にあった。だが実際に社員食堂に入りサンプルを見てみるとどうしたことか。麻婆豆腐がちっとも赤くないのだ。まったく!赤くない麻婆豆腐に何の価値があろうか?青いポストと同じくらい無価値だ。紫の救急車と同じくらいナンセンスだ。物には物のあるべき色というものがある。五人組の戦隊ヒーローが5人全員同じ色では見ている方も困るだろう。だからよ、麻婆豆腐よ。こんな茶色じゃその名は名乗れねぇ。お前さん、単なる「肉豆腐」だよ。ああっ!失望したよっ!というわけで私はブリの照り焼きを食べることにした。サンプルの切り身がすごくうまそうだったし。でもだがしかし、私に盛られたブリの照り焼きはまずそうな部分だった。あの肉厚でジューシーな部分ではなく妙にとがっているサバみたいなブリだ。口に入れてもなんだかぱさぱさしていてあまりうまくない。同僚は色のない麻婆豆腐を食べている。感想を求めると「辛い」と申す。別の同僚も「辛い」と申す。辛さはなるほど、麻婆豆腐のアイデンティティーだ。彼は名を捨てて実を取っていたのか。私は見た目に騙されてまたも本質を捕らえそこなったのか。麻婆豆腐、うらやまし。明日はするまい失敗を。だがまずそうなものは実際まずいことが多いものだ。ああ、どうすれば良い。私はどうすればおいしい社食にありつけるんだ。必要なのは写真の技能か?それとも武術の才か?どちらも関係なさそうだ。私が今まで延ばしてきたものとは全く関係のないものが求められている。金なのか!?社会性なのか!?だとしたらもう死ぬしかなさそうですな。はは。その前に紅茶を一杯淹れようじゃないか。
  1. 2009/04/20(月) 12:03:30|
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ごく瑞

  パンを食べるにはとても良い日である。というわけでパンをたくさん買ってきた。そして昼間寄ったパウンドケーキ専門店で買ってきた様々な焼き菓子もある。飯島、春のパン祭りの開催だ。とはいえ今日はパウンドケーキがあるのでパンの威光がさほどでもない。早くケーキへ、パウンドケーキへ!レモンのパウンドケーキ、ケーク・オ・フリュイと呼ばれる乾燥菓子の入ったパウンドケーキ、そしてなんだかわからない三角形のパウンドケーキ。三つのケーキが一つになって(胃の腑の中で)!ああ、さすがに食べ過ぎた。腹の中で小麦が躍っておるよ。正確には経口摂取した小麦加工食品によって飯島の消化器が蠕動運動を行っておるよ。いやー、流石は専門店のパウンドケーキ。ものすごく瑞々しかった。どうなっているのかよくわからないので良く見ながら食べたのだけれど疑問は全く解消されなかった。そこら辺のパウンドケーキはパサついているのがほとんどでそのパサつきこそがパウンドケーキだと思ってしまうのだが本物は違うのだな。初めてわかった。だけれどなんだかわからない三角形のケーキだけは少しパサついていた。なんだか甘さ控えめなカステラのような味だった。アレはなんだったのだろう。ふぅ。小麦がお腹にたくさん入ったので今日は小麦的な夢が見られると思います。巨大なトラクターが迫って来て足首をずっぱり切られたと思ったら身体を粉微塵にされ日本に運ばれたと思ったらバターと混ぜられて焼かれる夢を。願わくば悪夢であらんことを。
  1. 2009/04/19(日) 20:43:17|
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まんの中

  肉まんを食べまん。あまり食欲がなかったので肉まんを食べてふわふわしていた。本来は撮影の予定だったのだけれど色々あって流れてしまった。そこで肉まんだ。肉まんは流れはしない。あるいは中身がドロドロになって流れ出すことはあるかもしれないがここ日本国で信用のおける肉まんを食べている限りはまず滅多に起こらない。肉まんを食べる。買ってすぐ公園で食べようと思ったらば児童たちがダマになって遊んでいたので入らなかった。少子化だとか世間では言っているが結構いるではないか。もっとドンドン少子化になって人類が滅亡してしまえば非常にエコで地球にやさしいのに誰も真面目に考えたりしない。そうだ。真のエコカーというのは人間が乗った瞬間全速力で走り出してその辺にぶつかって搭乗者を殺すようなものではあるまいか。キーを回すとエアコンから毒ガスが出てくるとか。それこそが真のエコ。ともあれ今日のところはエコは置いておいて肉まんだ。自室に一度戻って肉まんを食べる。食べながらコーフィを淹れたり洗濯機を回したりうろうろしていたらいたるところに肉まんの中身がこぼれてしまった。早く食べ終えて雑巾がけをしようと急いで食べるとまたぼろぼろ落ちていく。負の連鎖だ。デフレスパイラルだ。そして私が食べているのは割に高級な肉まんなので口の周りが脂でべたべたになった。ティシューを探しまた歩く。肉まんのかけらを落としながら。
  1. 2009/04/19(日) 13:15:02|
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  用があって五反田に来た。せっかくだから五反田でご飯を食べて帰ろう。そういえばそうだ。五反田に池袋で名をはせた名うてのつけ麺屋がやってきたという話を聞いたぞ。話によれば本店はつけ麺の総本山。元祖を名乗っているらしい。となれば飯島の登場は避けられまい。つけ麺自体、あまりおいしいと思ったことがないのだが今度こそ私の脳髄に鉄球を打ち込んでくれるだろう。期待しておるよ!と、期待をかけて行ってみると不気味なほどに空いていた。総本山、元祖の五反田店なのだからもう少し人が入っていても良さそうなものなのに人があまりにまばらである。まばらであっても良い店は良い店なのだがどうにもこの店からは覇気を感じない。客に向けて迫ってくるところがない。迫力に欠けるのだ。良い店はこうもっと、面を打ち込んでくるような圧力があるのだけれどそれが全くない。気持悪い。とはいえまずは食べてみるのだ。つけ麺は何よりも味じゃろう。だがな、だがの。なんじゃいな、こりは。飯島の落胆は地面を突き抜け遥かブラジルへこんにちは。ブラジル語ではなんていうの。コモエスタ赤坂?ともあれもう何、ああ、へー。ってゆーか、ふーん。この中途半端にぬるいつけ汁。なんか酸っぱいし意味がわからない。麺は妙に量が多いけれど量が多いだけで旨み成分がゼロ。ただの伸びた小麦粉だ。ああ。小麦に悪いと思え!はるばる海を越えてやってきた小麦になんてことをしてくれたんだ!テンシオンがマリアナ海溝よりも下降して水圧で潰れてしまったのでとぼとぼ帰る。ああ、ひどい目にあった。ラメーンが皆、うまい方向へ進化してくれれば食べる方は楽なのだけれど人類はすぐに愚かなことを初めて環境も破壊してしまう。人類の愚かさの結晶としてのこのつけ麺。自宅に戻ってそうだ、コーフィを淹れよう。私にはまだ羊羹があったはずだ。
  1. 2009/04/18(土) 19:49:45|
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常に大

  お爺様の納骨を終えて親族との食事会である。ああもう辛い。食事会である。親類との食事会ほど私の気持ちを鬱屈させることはない。しかもなぜかお子様席の真向かいに最初に案内された。だがあまりにも私が露骨に嫌な顔をしたせいか一瞬で席を替えられる。私はそう、子供が非常に大嫌いなのだ。なぜかはわからない。生まれた時から嫌いだった。鏡に写った自分に腹を立てていた。子供を指して「こんな愛らしいのに何が嫌いなの?」とは良く聞かれるのだが私からすれば「こんなに憎たらしいのに何が好きなの?」であり全くお話にならない。根っからの人間嫌いの私から見ると、全身で人間を体現しているところがダメなのだろう。人間から人間味を極限まで取り払った仏様とか死んでしまった人などが好きなのだからあの元気ハツラツで何も考えてないところは癪に触って仕方がないのだときって思われる。詳しいところは本人でもよくわからないが苦手なものは苦手だ。ようやく席を代わって食事を取るが、今度の隣はゴルフと自己啓発本に最近はまっているという若い男だ。悪いがどちらもまるで興味がない。ゴルフは大学の時に一度クラスで取ったのだが三か月やって一回もまっすぐ玉が飛ばずにシャフトを一本折った。同時に居合道をやっていたので無意識に刀の持ち方になりクラブを地面に叩きつけていたのが原因だったのだろう。そして自己啓発にしても私は一人で宗教関係の書物を読みあさるのが趣味なのだけれどそれは自己啓発ににて自己啓発ではない。どうにも話が行き違う。そして飯をうまいうまいと言っていたが私は何もうまいとは思えず席を中座して一人で昼飯を食べに行こうと考えていた。だが流石にそれはあまりに社会性がないので最後まで付き合って店を出る。一人になって喫茶店に入る。そこで食べるはモンブラン。この店はよく前を通るのだけれどこの時期になってなぜかモンブランを始めた。モンブランの写真が見えるところに貼ってあるのだけれどこの写真がひどくへたくそで何が写っているのかさっぱりわからない。だから気になって気になって仕方がなかったのだけれど食べてみれば割りと普通のモンブランよ。普通ではあるが丁寧に作ってある。栗の、これは洋栗だな。栗の香りが香ばしい。なんか洋酒の匂いもするし。ああ、一人飯は気が楽だ。だけどこの喫茶店、エアコンを切っているようで非常に暑い。食べ終えて早々に外へ出る。一度家に帰ってまた出かけよう。
  1. 2009/04/18(土) 14:28:19|
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下のラ

  普通のラメーンが食べたかったんだ。イスラエル武術の稽古の前に軽く、今度は吐かないようなものを食べよう。そこで道場のある市ヶ谷をふらふら歩いてみたのだがどうやら九州が市ヶ谷の併合を考えているのかとんこつラメーン屋ばかりが目につく。だがここは東京だ。陛下のお膝元だ。醤油ラメーン屋だって一軒くらいあるだろう。あるだろうとは思ったのだけれど見つからなかった。無いとなれば仕方ない。一番醤油ラメーンらしいものを出すとんこつラメーン屋に入ろうじゃないか。ということで一軒見当をつけて入ってみる。そこで栄養バランスを考えてもやしと卵をトッピングしたラメーンを食べたのだがこれがびっくりするほど普通のラメーンだった。確かに普通のラメーンが食べたいと一言目に書いたけれどここまで普通だと逆に普通以下に感じる。いや、これは普通以下のラメーンなのではあるまいか。どうなんだ。いや、どうなんだ!私はあまりラメーンを食べつけないのでラメーン評価はまるで自信がないのだけれどぴくりとも「うまい」と思わないということはやはり何かラメーンに問題があったのかもしれない。そもそも醤油ラメーンなのに醤油の香りが全然しないただのとんこつラメーンだったところが評価を下げる原因の一つでもある。私は醤油ラメーン以外は全くおいしいと思わないのだ。全部ゲテモノに見える。醤油至上主義であり毎日朝晩醤油に対して祈りを捧げている身としては塩もとんこつも味噌バターも全部邪教の神である。悔い改めよ!醤油に帰れ!そしてイスラエル武術で汗をかいて自宅に帰る。初めて練習中にスポーツドリンクを飲んでみたのだけれどその即効性に驚いた。身体に水が浸透していくのがすぐわかる!こりゃあラメーンどころじゃありませんよ。毎週買おう。
  1. 2009/04/17(金) 23:08:30|
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てメン

  私はひどく悩んでいた。あるいは悩まなくても良かったのかもしれないが悩んでしまった。社員食堂でアーモンドチキンカツを食べるか、もしくはやはり社員食堂でメンチカツ丼を食べるかでだ。きっとどちらに転んでも満足は出来ないのだろうけれど年に365回しか存在しない昼飯チャンスなのだ。少しでもうまいものが食べたいというのが人情というもの。見た目で言えばアーモンドチキンカツなのだけれどしかし、どうにもカロリーヌが気になる。確かにメンチカツだってヘルシーとは言い難いけれど「アーモンド」チキンカツなのだ。このアーモンド。ナッツ類というのはあの小さなボデーに過剰なまでのカロリーヌを隠している。ちょっと食べられるものではない。そこで結局飯島の理性にしたがってメンチカツ丼を食べるのだけれどこれがまたガッカリメンチだった。ああ、メンチってもっとうまいもんだと思っていたよ。肉屋で並んだコロッケとメンチ。コロッケはいつだって庶民派さ。少し昔は30円で売っていた。でもメンチ。野郎はいつだってブルジョワ連中しか手が出ない。価格だって100円を超えることがしばしばだ。子供の頃はいつもコロッケを買い食いしながら「いつかメンチ!」と横目でにらんでいたっけっか。ふふ、ウソだけど。でもそういう感覚的な何かは持っているつもりだよ。私は見た目ほどブルジョワジーじゃないからね。ともあれ社食のメンチはそんな私のメンチ幻想を踏みつぶして唾を吐きかけてロードローラーで平たくしたような代物だった。もし「メンチカツ丼」と言われるずに渡されたのならハンバーガーの糞の部分を揚げたものだと思ったことだろう。うまい部分が見つからない。入れ替わりで昼食に行く同僚に「メンチカツはひどいですよ」と言っておいたのに帰ってくると「いやー、メンチカツはひどいですね」と平然と言い放つ。だから言ったのに!だから確かめたんですよ!ぐるぐると地球は回転する。
  1. 2009/04/17(金) 12:32:53|
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Author:モチウナギ
写真家で着物デザイナーで何かそんなようなものです。

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