カル会

芸術家日常

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

文が終

  ホッケを食べよう!トゥナイイズア・ホッケナイト!と意気込んで近所の弁当屋へほっけ定食を買いに行く。しかしあら、「秋の間はホッケ定食をお休みさせていただいております」の張り紙。普段ならばそんなファガナー!と言ってチェーンソーで道行く人をなで斬りにするか中東で手りゅう弾を拾ってきてガンガン店の中に投げ込むかするところだがどちらもしない。逆にほほえましくなった。「ほほぅ、旬でないものは使わないとな。感心感心。」でもな、そんなら旬の魚系の料理は無いかとチラッと探したが見当たらなかった。いや、あった。でもこれって通年で置いてないか?「秋刀魚のゴマ揚げ」でもまぁ、折りもよろしく今は秋刀魚が旬の時期である。これを貰おう。でも塩焼きなどがあれば良かったのに、と、あ、ああ、あるじゃないか!ずばり秋刀魚の塩焼きが!注文が終わってほっとした時に見つかるなんて罪な!もっとでっかく書いてくれよ!店員さんも「ゴマ揚げで本当によろしいのですか?か?あ??」と聞いてほしかった。でも仕方が無い。一度振った賽の目はどうともならん。男ならゴマ揚げを受け入れようじゃないか。受け入れて自宅に持ち帰って食べる。ふむふむ。ふむふむ。来週の頭くらいにまた行くかもしれん。その時は秋刀魚の塩焼きを食べるんだ。秋刀魚を食べながら別の秋刀魚を思う。浮気な男ですよ、飯島は。好きな男の腕の中でも 違う男の夢を見る Uh- Ah- Uh- Ah- 私の中でお眠りなさい ジュディ・オング ~魅せられて~ 
スポンサーサイト
  1. 2009/09/30(水) 21:50:19|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

キン南

  今日の昼は懐かしのチキン南蛮。何が懐かしいのかって?最近私の日記を読み始めた人や去年だけ読まなかった人はわかるまい。去年わたくしは五反田のオヒスに勤めており、そこの最寄りの飲食店が九州料理屋だったのでよくチキン南蛮を食べていたのだ。だがわたくしは社会の荒波によって近所だった五反田オヒスを追われ今は北区のオヒスで血痰を吐きながらお酢事をしている。チキン南蛮はもはや追憶の彼方、かと思いきや社員食堂で出てきたよ。チキン南蛮。そしてチキン南蛮と言えばもはや恒例になりつつある食べながらのタルタルソースの源流巡り。タタール族に思いをはせるかと思いきやそうではない。ここのチキン南蛮は全然タルタルソースがかかっていなかったのだ。そんなものをケチるなよ!なぁ給仕の!タルタルソースがたくさん余れば余るほど自分の給料が増えるわけではないのだろう!でも今回はいいのだ。タルタルではないところに突っ込みどころがあった。衣だ。なんだこの衣は。片栗粉が異常に多いぞ。気持ち悪いサクサク感。ケミカルな歯ごたえ。もはやチキン南蛮でもから揚げでも無い第三の何かだ。この奇妙な食感をもっと楽しむためにチキン南蛮の肝であるタルタルソースもわざわざそぎ落として口に入れる。肉の薄い部分はもはやポリポリしている。お菓子のようだ。どうしてこうなったのだ。ここの食事はまたしても私の考えの限界を打ち破る。芸術家などという創造性を売りにした身分でこのようなチキン南蛮も思いつかないなど職務怠慢ではないか。ああ、油断すると自己嫌悪。全ての人間が私よりも偉く見える。実際はどうか知らない。人は万人平等だという話もある。ま、全ての人は死ぬという時点でそれなりに平等だがね。立ち上がり、場所をかえて本を読む。本の中で著者が癌治療で四苦八苦しているが私は知っている。この後著者は努力の甲斐なく死んでしまうのだ。それが人間の平等。
  1. 2009/09/30(水) 12:19:51|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ッガッグビグビゴッコ

  私の人生の楽しみは食「しか」ないというのに(私にとって芸術活動は生きるための行動なので好きとか楽しいとかそういうレベルではないのです)その食に対してまるで意欲が沸かないというのは人間としてもはや最低のレヴェルに落ちてしまったのかもしれない。もう私は人ではない人でない。つまりは人間以下の・・・、そうだな人間以下の・・・、なんだかどのような生物・無生物であっても「人間以下」というのは言い過ぎのような気がする。人間以上というと神・仏がポンと出てくるのに以下となると石ころや虫けらであっても下とは思えない。そんなものにすらなりえない飯島の悲しみはどうだ。人と人でなしの間で何かもやもやしたものとして目黒区内を揺れ動く。そして気がつけば手に食べ物を買っていた。焼き鳥と鉄火巻きだ。これはいい。悲しみによくあう飯だ。モクモクガッガッグビグビゴッゴッガウガウモグモグ。食べた。食べ終えてからソーダを飲みたいと思った。ソーダは好きだ。ソーダがなぜかとても好きだ。一か月前の私はそんなにソーダが好きではなかったと思う。もう健康のことなんてどうでもいいからずっとソーダを飲んでいたい。
  1. 2009/09/29(火) 21:07:21|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

イ、で

  おお凄い。何もかもが滅びへ向かっている!減退している!何の話かって?私の食欲がさ。でも私が人間の身体を物理的に維持していくには私の感覚に逆らってでも何か食べた方がよろしいようなのだ。現代医学がそう言っている。でも別に何が食べたいわけでもないので社員食堂でお弁当を買った。弁当ならば私が何も考えなくても勝手に栄養のバランス良く綺麗にまとまっているのではあるまいか。そう考えた。そう考える私がいた。私というのは飯島のことです。私ね、私。でも私が実際弁当を手にとってふたをば開いてみるとちょっとなー、イメージと違うー、おもてたんと違うー。そこに鎮座ましましていたのはまず豚の生姜焼き、そして何かの獣肉が揚げられたもの、シュウマイ、である。悉く肉ベース。個人的には根菜などが中心だといいな、などと思っていたのに私の思いはどこにも着地できなかった。目の前には、肉。シュウマイを食べ、揚げ物を食べ、豚生姜焼きは・・・、あまり進まない。徐々に減退していく私の中の何か。このまま少しずつ減っていくともしかして仙人になれるんじゃないか?憧れの仙界ライフへの到達である。でも仙人ってのは何をしていればいいのだろうか?体のいいニートのような気がする。そうだとすると仙人になるのはあまり面白くないのかもしれないな。国から「仙人手当て」みたいなものが月に50くらい出れば結構楽しいかもしれないが今のところそういう法律はどうやら無いらしい。残念至極である。というわけで今日も私は飯島として生きる。仙人にはなれない。コーフィを飲もうと思ったが止めた。水を飲む。
  1. 2009/09/29(火) 11:49:29|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

んの友

  うどんが食べてぃぜ。昨日、友人にチラとうどん話をしたらば「えー、うどん?」みたいな反応をされたので悔しくなってうどん屋に入り、いつもは(小)うどんを食べるのに(中)うどんを注文する。トッピングはもちろん磯辺揚げさ。うどんの友といればこれしかない。ドラえもんで言うところののび太とジャイアンの関係だ。ああ、もちろんジャイアンは劇場版の方だ。でもアレだったね。思いで物理は覆られないのだね。(中)うどんは明らかに私には多すぎたのだ。悔しいからって大目でものを頼んではいけない。人間というのは怒れば怒るほど胃袋が拡張されるような生物ではないのだ。でも私は努力した。人は努力できる。ぐんぐん腹にうどんを詰めていたのだけれど隣のテーブルが急に気になった。突っ伏していた女性が顔を上げたと思ったら泣きはらした顔でメイクがぼろぼろなのだ。うどん屋で何が起きているのだ!?うどんに振られたとかうどんが借金を作って逃げたとかうどんに暴力をふるわれたとか考えたけれど整合性のある答えが思いつかなかったので帰ることにした。こういうのはじろじろ見ていても何かがひらめくわけではないのだ。特に私のように人間の心情に疎いものにとってはなおのこと。だからいいところで家に帰る。途中でコンビニエンスに寄って飲み物を買った。今日は飲まないけれど明日か明後日の私がきっとこれを飲むことでしょうよ。
  1. 2009/09/28(月) 21:08:26|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

トはフ

  どれどれしこたまふんことぺったん社食です。そいでこりーな。ふゅーちゃなぽーもーコロッケでした。つまり、ホタテクリームコロッケとかいうのがトゥデイのランチンメニューだったのです。でも私はどうかと思ったね。そもそもご飯のおかずにおい、クリームコロッケってなんだよ。げらげらげら。だってあんな食感もへったくれもない。衣の次にクリームがきてひたすら口の中でべしゃべしゃするものがご飯に合うものかよ!しかもご覧。トマトソースがかかっている。あのなー。トマトは確かにおいしいけれど、トマトで飯を喰おうという剛のものは世間にゃそんなにおらんのんよ。ソードゥーアイ。私もトマトのビッグファンだけどやはりご飯のお供にゃしたくないね。でもそんなことはおかまいなしの社員食堂さ。ホタテクリームコロッケにトマトをぶち込んでにやにやしてけつかる。このごんたくれが!試しにこいつをおかずに白米を食べたけれど合わないこと合わないこと。これなら風邪薬をおかずにした方がまだマシというものだ。トマトソースをこそげ落としてウスターソースをかけなおすとほんの少し光がさした。これならまだいけるかもしれない。仏のようにおおらかな心になればこの昼食だけは生き延びられるかもしれない。かもしれないかもしれないばかりで恐縮だが私も必死なのだ。油断すると人生を投げたくなる。そうならぬように慎重に慎重に自分を騙して昼食を終える。ああ、今日も生きていた。感謝感謝。おらホントはフランスパンが食べたかっただ。
  1. 2009/09/28(月) 11:44:34|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

お、飯

  ジョースター!貴様、見ているな!
  わたくしの日記のヘビーリーダーである幼馴染み夫妻が茨城からやってきた。ようこそ港区へ!目黒区ではなく港区は白金に出てお迎えするのです。ここには飯島が最近わーおっつってわーおっつって驚いた中華料理屋があるのでそこへ是非いらしてください。というわけでようこそ港区へ!いやー、今回はこの一緒に食べた人々が確実にこの日記を読むので緊張しますな!ウソだけど。緊張なんて微塵もしてないけど。ともあれその中華料理屋へ案内する。夫婦ともに幼馴染みのはずなのに飯島の記憶力はかなり前から相当すかすかになっているため夫婦の婦の方しか記憶になかった。かつての同窓生の所在を聞いてもほとんど全く思い出すことができなかった。おお、飯島はかくも未来に生きているのか!というか想像以上にダメ人間だな。昔のことをちくとも覚えていない。ともあれ今だ。今は中華料理を食べるので中華料理的な感性があれば問題ない。くらげ、鶏の足、小龍包、トマトとタマゴ炒め、中華菜、焼きそば、杏仁豆腐、なんか色々食べた。私の惚れ込んだ焼きそばを気に行ってもらえたのでまずは満足。ひとまず満足。それにしても幼馴染みというのは幼馴染みなものだ。どういう感慨だかわからないし過去の記憶がすかすかなので変わったかどうかすら定かではないがなんとなくそうだ、幼馴染みだ。パソポンでタイプするとすごくタイプしづらい。幼馴染み。すぐに「おささなじみ」と打ってしまう。ああややこし。ともあれ食後はお二方とも茨城に帰る。大変遠いところまでよくぞ来ていただいた。ありがたい。料理さんを御馳走様。私は一人、ごちゃごちゃした自宅へと帰る。読み終えた本を整理して明日から読む新しい本をカバンに入れる。そういえば公共料金を払い忘れた。明日、コンビニに寄って払うこと。
  1. 2009/09/27(日) 23:45:15|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

はそう

  運送会社の集荷を待っていたりなんかしていたら昼になった。よぉ、昼。元気そうじゃないか。というわけで私は外に出た。そして歩くよ歩く。中目黒へ。実はな、中目黒にある目黒区役所に用が有馬富士のしいたけ狩りなのです。でもまぁ待とうや。少し時間をくれや。その前に昼飯を喰うってのも中々いいアイディアだと思わないか?そうだと思わないか?私はそう思うね。だからタイ料理屋に入ったさ。そこで何を食べたか。うんうん、ものはわかるよ。スケッチで描くこともできるよ。でもな、名前がわからない。ご飯の横に何か野菜と肉がもじゃもじゃ炒められたものだった。飯の上に目玉焼きも乗っておったぜ。ふっふー。流石はタイ料理。そしてそれがマグナム辛かった。何よりもかによりも辛かった。最近辛い物を食べていなかったので「ふわっ」という声が出た。本当は出ていないけれど。最近指摘があったのです。飯島日記はウソが多いぞ、と。あはーは。ウソは多いよ。わたくし、ウソ大好きですもの。でも世間ではウソはダメなものとしている人が多い。そんな「ウソをついてはいけない!」と言っている彼らはウソの楽しさを独り占めしようとしている悪い人間なのです。見つけたら一人残らず殺しましょう!ウソはいいものだよ!人を元気にさせてくれる!そして辛いタイ料理を食べた私は区役所に行って目黒区休日診療所に行って(診療所では「なんだかわかりませんねー。平日に専門医に行ってください」の一言をもらうために1700円払いました。そして薬も出してもらったのですが低体温症なのに更に解熱剤を処方されました。お薬代は2000円くらい。)なんだか釈然としない私はジェラートを食べるのですアップルカラメル味と巨峰の二色。カップに入れて貰って食べながら歩いていると正面からカップルが歩いてきた。私のジェラートを女子が見ている。男子は何かサッカーの話をしていたけれど女子は前後の会話を一切ぶち切って「・・・今日は暑いよね・・・」と申す。私は「そこで買ったのさ」と言いたかったけれど言わない。女子と男子の隙間を歩いてベンチに座る。まだ視線を感じる。私もジェラート化すればモテるかもしれない。「ジェラート飯島味」ううん、まずそう。
  1. 2009/09/27(日) 13:36:36|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

する8

  祖母に敬老の日のプレゼンポンを渡しそびれていたので持っていく。その際、焼き肉で歓待された。実は朝のうちに母からメルーがあり、「あなたのために焼き肉を用意するそうです」とあったので私は「私のためなら肉でなくて魚がいいです」と返信したのだ。それなのに焼き肉。まぁ、自分たちが食べたかったのか既に昨日のうちに肉を買ってきてしまったのかもしれないな。と思い、食べ始めた瞬間、母の携帯電話にメルーが届いた。朝、私が返信したメルーが8時間の時を経て今、やってきたのだ。このタイミングで。焼き肉を食べ始めた瞬間に焼き肉を否定する8時間前の自分からのメルー。おのれドコモ!なんという空気を作ってくれるのだ!別にいいよ!焼き肉なら焼き肉でも構わないんだよ!8時間前の私の空気の読めなさに泣いた。しょっぱい焼き肉だった。ごほごほ。咳も出る。明日は休日診療所に行かねばなるまい。
  1. 2009/09/26(土) 22:32:30|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ど一

  ケーキを食べた。自らの低体温症が致死的なレベルに向かっているので低体温症に悪いと言われる上白糖を大量に使ったケーキの類は控えていたのだけれど一個だけなら平気だ。「ケーキを食べる」というのは三個以上いっぺんに食べることを言う。一個食べる程度であれば「ケーキを見る」というのとほとんど変わらないので全く問題ない。しかも食べたケーキは別段おいしいものではなかった。ということはやっぱりこれはカウントに入らない。ああよかった。これなら明日もケーキを食べられる。明日は二個くらいまでならいいかもしれない。秋だから栗のケーキを食べようか。
  1. 2009/09/26(土) 16:22:18|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

わ!他

  用があって飯田橋に来た。まずはそうさ、昼飯さ。ということで事前に調べておいた焼き鳥屋に来てみるとあらやだ。普通に定休日じゃない。土曜はランチをやってないなんてどういうこと!日本人は土曜日をラマダーン曜日にした覚えはございませんわ!他の店はどうだい?やっているのかい?やっているじゃないのさ!こういうのを「営業努力」というのだよ。違うかもしれない。私は尋常のサラリーマンをやったことが無いので違うかもしれないが「営業努力」というのだよ!ともあれ店に入る。ちょっとしたビルヂングの二階に入ったお店でちょっとオサレっぽくしているのがしゃらくさい。でも味が良ければ良いのだ。どれ一つこの「鰆の南蛮定食」を頼んでみよう。すると出てきた鰆の南蛮。というか鰆の南蛮って一体なんだ。鰆はよくわかる。魚だ。だが南蛮というのが大きい。「南蛮漬け」と言われれば唐辛子やネギのみじん切りを加えた酢につけてあるものだが「チキン南蛮」の南蛮はタルタルソースな感じだ。どっちの南蛮!?と思いながら頼んだらどちらでも無い南蛮がやってきた。じゃあどんな南蛮かと問われるとこいつが難しい。特徴の無い南蛮なのだ。なんとなくサクサクした食感で、野菜がたくさん絡んでいて、甘辛いタレがついていた。小洒落た店にふさわしい小洒落感だがどうにも味がしゃらくさい。満足の一歩手前で包丁を置いてしまった。むむん。でもお店はひっきりなしに人が入ってきて非常に繁盛している。しゃらくささが街の人々の求めるものとあっているのだろう。でも私はダメだ。これはちょっとしゃらくさい。店を出て歩く。今日は尋常でなく暑い。日本は油断すると暑い。そして湿気。どこに行っても湿気。私が東京都知事だったら23区をドームで覆って除湿機をつけるね。そして東京の湿気は全部千葉に送ろう。うん、悪くないアイデアだ。誰か、私を都知事にしたまえ。
  1. 2009/09/26(土) 12:14:04|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

肉を人

  送別会に出た。私が働くオヒスから一人、退職者が出たのでその送別だ。行ってみると、十数人の中で男子は私一人だった。そういえば私がやってくるまで「女子の園」だったと聞いていたがまさに女子の園。だがな、私はなぜかそういう場面に陥ることが多い。これは私から見ると意外と違和感が無いのだ。だって目の前にいるのは全員女子であり整合性が取れている。向こうからすると女子の中に一人男子なので違和感もりもりなのかもしれないけれど、やはり先方の視点である。私から見ると世界は完璧だ。そんな中で焼き肉を食べた。焼き肉は久しぶりで胃が驚くといけないと思い、野菜ばかり食べていた。そうしたらお腹が膨れて参ったよ!でもなんだかんだで結局たくさん人々に勧められるままに食べさせられどんどん苦しくなっていく。人と一緒に焼き肉に行くと各々が勝手に焼いて勝手に人の皿に盛るので全く辛いことこの上ない。なぜ人の皿にものを盛って嬉しいのかがわからない。というか人を尊重しようぜ!相手には相手の意思というものがあるのだ!でも肉は私から遠く、どうしても人に焼いてもらう必要がある。残念ながら、人は一人では生きていけんのだよね。というわけで人の焼いた肉を人に代わって食べる。もぐりもぐり。目の前の人々が全員白飯を肉のともに食べだしたので白飯を頼まなかった私はなんだか負け組のような気分になってきたが耐えるのです、飯島。元来小食の私が少しでもたくさん食べている人に見せかけるために白飯は頼んではならんのです。女子ばっかりの中で一番小食というのは彼女らから見れば許されざる罪だということは飯島、よーく理解している。何がなんでも女子より食べていなければ彼女たちの面目が立たぬ。というわけで私は努力した。飯を喰わずに肉を喰った。なんだか食べすぎて背筋が寒くなってきたが仕方が無い。そういうこともある。電車に乗って帰る。自宅で水をごくごく飲む。二杯、三杯、まだ入る。
  1. 2009/09/25(金) 23:34:29|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

た、カ

  何かもやもやとした昼飯に対して積極的になれない気持ちだ。だが、だからといって何も喰わずにいてはいけない。そんなでは徐々に衰弱して肉体としての飯島が滅びてしまう。おお、古代ローマのように!でもやはりさほど明確な食べたいものが存在しないのでそんな時はアレだろう。人類の英知「麺類」に頼るべき時だろう。ああ、人間が「麺」を生み出してくれていて本当に助かった。もしこの世にご飯とパンしか無かったらなんて昼飯は無味乾燥な世界になるだろう。考えてもご覧、昼も真昼に誰も蕎麦やうどんをたぐらぬその世界を。パスタもその存在を許されずただの小麦粉として世に偏在するその絶望。だが神は子羊を見捨てたまわらなかった。変な敬語だが神様を相手に話をしたことが無いので仕方が無い。たまわらなかった。この世には、ともかく麺があるのだ。麺の存在する世界なのだ!助かった!飯島の昼が助けられた!というわけで蕎麦ブースに行って「蕎麦を」というとすぐに蕎麦が出てきたのにあーあ、あーあ、ちょっと何しとるのー。私が頼んだ蕎麦に問答無用でカレーをかけよる。それはあーた、カレー蕎麦ちゅうもんで蕎麦とはまた別の蕎麦やないか。憤慨してカレー蕎麦をぶちまけようかと思ったらば後ろの人物どもは「自分はうどん」「うどん」「うどん」「うどん」と当然のように「うどん」の一言だけでカレーうどんを表現していた。くそぅ、図られた!今日は月にカレー蕎麦・うどんの日だったのだ!それを知らんと飯島はカレー蕎麦・・・。ああ、カレー蕎麦・・・。一回も食べたことが無い人間はまず喰ってみろ。カレーと蕎麦の相性の悪さ、ちょっとした女子ならば血液型や星座などを敷衍して滔々と説明できるほどだが私は自分の血液型や星座すら知らないので何とも言えない。とにかく相性が悪い。すいかと天ぷらぐらい相性が悪い。三角関数とパラセーリングくらい相性が悪い。どう間違っても間違っているのだ。まずいのだ。なぜこの二つを合わせたのかがわからない。カレーうどんという正解を出したのならもうそれでいいじゃないか。どうして余計な事をする。蛇に足を書いて靴を履かせてイームズチェアーに腰かけさせるようなまねはやめていただきたい!だってまずいんだから!それでは私はすすったね。カレー蕎麦。やはりまずい。この度もまずい。もう二度と食べまいと思っていたのにどうしてまた出会ってしまったのだろう。これって、運命?ここから始まる飯島とカレー蕎麦の素敵なロマンス?ああ、ふぅ。ないな。全く。乾いた咳が2,3回、誰もいない廊下に響き渡る。
  1. 2009/09/25(金) 12:19:59|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ラッパ

  炒飯を食べた。最近おいしい炒飯を食べたことが無いな・・・。などと思っていたら自然と足が近所のおいしい炒飯屋とも言えるおいしい中華料理屋に行く。ここのはパラッパラなんよ。そこには不安そうなおばちゃんがいた。ええ、そんな、不安!?と思ったらば奥からいつものおっさんが出てきていつもの炒飯を作ってくれた。ふぅ、いつもの。やはりパラッパラだった。この炒飯が踊りだし、音楽を奏でたとしたら相当ポップでのりのりな感じだろうというパラッパラ具合。食べ終えてトイレットペーパーを買いにスーパーに入ったのだけれど人がもう行の列を作っていたので断念。まだきっとトイレットペーパーは少し残っているはずだと信じることにした。信じることは力になるって誰か言っていた。私はそんな言葉は信じないけれど。自宅に戻ってソーダ水を飲む。油断するとソーダがうまい。でも砂糖が入ったものは飲まない。私の低体温症に良くないようだから。今日は一日手足が痺れた。眠い。きっと休み明けだからだろう。
  1. 2009/09/24(木) 22:54:45|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ラが、私

  社員食堂でヒレカツを食べた。健康の観点から見てヒレカツは無いだろうと思ったのだけれどあまり脳が働かなかった。ヒレカツの対抗馬として用意されていた魚があまりにまずそうだったので。ヒレカツだったら見た目は名店だろうが駄店だろうがほとんど変わらない。なんだか丸っこいものが揚がっているだけだ。更に良い油を使えば使うほど匂いがなくなるので香り的にも差はなくなる。でもそれだけでは栄養が偏るのでオクラも一緒に食べることにした。このオクラが、私を瀕死の淵に追い込むとは露ほども思わなかった。まず私はヒレカツを食べる。ふむ。この食感の頼りなさ。「お口の中でとろけるー!」感じではない。「お口の中で(不自然に、ケミカルな感じに)とろけるー!」風情だ。しかしかまわない。このくらいならば想定の範囲内だ。そして一口、オクラを口に含む。おや、オクラがみじん切りというわけではないが思ったよりも小さく切られている。小鉢を持ってつるつる吸い込む。そして喉へ入ったオクラが私のスイッチを押してしまった。体調を崩してから頻繁に入ってしまうダメスイッチ。身体を折り曲げて猛烈に咳き込む。息がまるでできない。肺から全部の空気が抜けてしまうのではないか。がうがうひゅーひゅー。それでも耐える。なるべく耐える。二度ほど意識が無くなったけれど右手の箸は離さない。左手の茶碗も離さない。なるべく平静を装うのが飯島の流儀。息ができなくてもかっこつける。涙が流れても知らないふりをする。酸素、酸素が足りない・・・。なんか、徐々に悪くなってるんじゃないか・・・。結核、肺炎、サナトリウム・・・。そういう単語がぐるぐる回るがもしそうだとしたら二週間以上同じ部屋で仕事をしている同僚に誰一人うつったものがいないというのはどういうことか。やはりそういうことか。私一人だけが異様に病気に対する抵抗力が落ちているだけなのだ。だから私初の病気は普通の人なら元々の抵抗力で余裕で防げてしまうのだろう。ぐったりもったりして残りの昼休みを過ごす。母からメールが来ていた。金に関するメール。週末は箱根に行こうと思う。
  1. 2009/09/24(木) 12:27:14|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

噌ラー

  味噌ラーメンを食べた。別に別のものでも良かったのだけれど家に帰る途中にあった店が味噌ラーメン屋だったので入って食べた。しかし私は元々味噌ラーメンに良い感情を持っていない。ラーメンは醤油以外は全部邪道だと思っているし、その醤油ラーメンだってそんなに頻繁に食べる性質ではない。じゃあなぜ味噌ラーメン?それは味噌ラーメンをほとんど食べないからなのです。常に新しいものを、冒険を、価値観の更新を望む飯島としては「そんなに好きではない」ということも積極的に食べに出る正当な理由になるのです。あと、自宅へ帰る途中にあったからというのも。疲れていたのでね。まだ病み上がりというか病み中まっただ中の私が二日連続で健常人のような生活をしたのだ。疲弊せぬ方がおかしいというもの。イスラエル武術の道場にもしばらく行けない旨を伝えたよ。今回の病は根が深そうなのでね。しばらくは養生と芸術活動の二本立てのみで暮らしていこうと思う。武術とケーキはお休みです。だけどその分芸術に専念するのさね。妙なものを一杯作るのさね。それが一番精神衛生には良いような気がするけれど物質としての身体には最も良くないような気がする。でもまぁいいさ。止めようと思って止められるのならとっくに芸術との縁は切れている。そう。そして冴えない顔でゆっくりとうどんを茹でる。ウソだけど。茹でている。
  1. 2009/09/23(水) 22:31:46|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

がトル

  トルコ料理を食べる。ヌァカ目黒で食べる。しかし今日は一人ではござらんよ。どこへ行くにも一人、二人以上だと足がもつれて歩けないザ・一人こと飯島ではありますがたまには二人でいることもある。というわけで二人でトルコ料理を食べていた。もう一人の一人がトルコ料理を食べたことが無いと申したのがその原因。そして連れてきて実際に食べてみたのだけれど、正直少し味が落ちていた。でも私は空気読める子。初めてトルコ料理を食べる子の前で決して「味が落ちてしまったよフォボビヤーン」なんちゅうことは言わずに「やぁ、食べやすいでしょう?トルコ料理」みたいなことを言ってやんわりしたムードを作っていた。そして食後の紅茶を出すタイミングもあまりに早すぎてメインを食べ終えて紅茶にうつることにはすっかり冷めきっており、砂糖を入れたのにそれが全然溶けんのです。そして我々は話をする。一人で話をすることはできないので二人いると話ができて得なのです。話題はほとんど私が一方的に現代アートの素晴らしさを語っており、たまにもう一人が茨城出身なので水戸の納豆屋は持ち帰りしかできないのでイートインを作れ、いやむしろ作る、とヒートアップしていた。なんだ、ずっと私がヒートアップしていただけじゃないか。食後に甘いものを食べたかったけれど低体温症が治るまで甘いものは避ける。私の体温は低すぎて山に入るともう死んでるレベルらしいので。ただ山に入っただけで死ぬレベルって、それはもうすでに息をしていないでしょう。ああ困る。私は生きているけれどもう半分近く死んでいるらしいのです。
  1. 2009/09/23(水) 12:45:49|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ーばか

  終わった。用が終わったので友人と外に出ることにした。どこへ、根津へ。友人は日暮里に興味津津。日暮里が誇る世界の「繊維街」を見てみたいと申すのです。でも私は知っている。日暮里の繊維街は問屋街なので日曜祝日はほとんど営業している店舗が無いことを。だから根津はどうかと聞いてみる。日暮里にほど近い根津は最近アートによって街おこしをしている。日暮里の繊維よりも根津のアートの方がクールだぜ、というようなことを説いて根津に行く。そしてギャラリなどを見て回る。でもまぁ根津と日暮里は近いのだ。せっかくだから日暮里へ行ってシャッターばかりの繊維街を案内し、なんとなく御徒町に出て上野まで歩き、その後神田まで歩いて飯を喰う。文章にすると一瞬だが私の方向音痴や思い違い、適当な性格のせいで4時間以上歩くことになった。つい二日前まで寝込んでいた人間が行っていい運動量ではないような気がしたのだけれどそうは言っても何もかも自分のせいである。私が組み立てたプランのせいである。だから文句も言わずに歩き倒し、友人も付き合い倒し、そして最後に神田で餃子を食べた。本当は別のものを食べたかったのだけれど連休の真ん中ではどこも開いていなかったのだ。仕方なしの餃子。でも友人はあまり餃子を食べない人だったので餃子が夕飯という斬新さに喜んでいた。ああ助かった。食べ終えたら普通に帰る。餃子を食べたがお腹いっぱい食べなかったので少し腹が減っていた。だが無視して帰宅。仕事の電話を一本入れる。
  1. 2009/09/22(火) 22:58:30|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

けのわ

  桜新町に来た新町。ちょいと用がありましてね。でもその前にお腹の方の用を足さねばならない。つまり昼飯という奴さ。そこで私は蕎麦屋に入った。蕎麦屋に入ったのだから蕎麦を食べるのが常道さ。でもその常道を外れて私は刺身定食を食べる。なぜならお店の前に「刺身のおいしいお店!」と書いてあったからだ。しかし私は猜疑心にかられていた。なぜなら今日は連休の四日目なのだ。築地が閉まって四日になる。となればその刺身は一体どこから手に入れたのだ?確かに店主が日も上がらぬうちに海へ繰り出して魚を獲ってきているのならば連休の何日目だろうととれとれぴちぴちだろう。だがな、マグロとタイとイカ。机の上のこの三品を店主が朝一で釣り上げたとはどうしても思えない。ということは最新でも四日前に水揚げされた魚を食べているのか。そう思うと少しうすら寒い気もするのだけれど実際は普通においしいのだった。流石は刺身のおいしいお店である。自称するだけのことはある。だが、ご飯の量が尋常ではなく多かったのだけはいただけない。おかしいと思って周りを見回すと私の飯だけ丼で出ていた。私がそんなに喰いそうに見えるかや?確かに着物を着て落ち着いたたたずまいでわけのわからない人間なのはわかるが決して大食漢には見えまいて。でもこの飯の量。それに私は病み上がりというかバリバリの病み中である。こんなに大量の飯は喰えるはずもない。だから残してしまったの。罪悪感が無いではない。私だって人の子、ニポーン人としてニポーンに生まれたのだ!コメこそ全て!コメなくば命なし!コメが食べられなければ腹を切って胃の中のコメを食べよ!と教育されてきた身である。その我が身が残す一握りの、コメ。張り裂けんばかりの、ムネ。でもだがしかし、入らぬものは入らない。勘定を終えて店を出る。肩に食い込むバックの重さ。サザエさん通りは晴天の下。
  1. 2009/09/22(火) 12:11:19|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

しのせ

  自宅に戻ることにはもう立派に風邪をぶり返していた。まったくめんどくさいったらないね!いつまでだらだらだらだらだら長引く気かい!しまいにゃ怒るよ!ぷんすかぴー。というわけでパンを食べることにした。私はパンが好きなのでパン屋でパンをたくさん買ってそれを晩飯にすることがある。「ありえない!」と言われることもしばしばだが多分長い国外暮らしのせいでそんなことも平気になってしまったのだろう。世にありえないことなどありえないのだよ。というわけでパンばかり食べていた。もちろんパンだけでは身体に毒なのでたんぱく質やビタミンなども取りましたよ。そして私はぐったりする。へんなりして明日を待つ。ホントはやることまだまだあるの。でもへんなり。むっくり。起き上がって明日明後日の用意をする。気晴らしに歌を歌うと咳が出てうまく歌えない。水を飲んで深く息をついたりする。
  1. 2009/09/21(月) 22:07:17|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

う改

  飯田橋のギャラリーヌに行く。ロケハンも兼ねている。まだ身体が回復していないしあまり目黒を離れない方が良いとは思っていたのだけれどもう今日は五連休の三日目である。元々入っていた予定は昨日一昨日寝込んだせいでもうのっぴきならない状態になってしまった。というわけでまずギャラリーヌ。そこは大変変わったギャラリーヌで元銭湯である。元銭湯をどう改装したのかというと、ほとんど改装していないらしい。実際行ってみるとただの銭湯だった。ただの銭湯なのにそこに現代アートの作品が置いてある。くらくらしたね。ここまでギャラリーヌらしくない、ただ銭湯というだけで主張してくる展示場があったなんて。度肝を抜かれて、抜かれた度肝は置いて帰ってきた。それからロケハンに出る。徐々に身体が重くなってきて途中で休む。コーフィを飲む。ふらふらする。まったく使い物にならないこの身体。べったりと重たくてイヤになる。魂だけは次の作品へと飛翔しているのに身体の方がついていかない。だが捨ててしまうと次の作品が作れないのだから困りものだ。しばらくはケーキ絶ちをして身体に良いものだけを集中して取ろう、と考えながらスイートポテトを食べる。いいの!スイートポテトはイモだから!野菜とみなす!それにしてもさっきのギャラリーヌは良かったな。今の展覧会が終わったらスタジオとして借りられないかな。あーあ、コーフィに砂糖を入れ過ぎて激甘だよ。

松の湯二階(新宿区山吹町/江戸川橋駅より徒歩8分)

  1. 2009/09/21(月) 16:59:11|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

う。飲

  家の近所に中華料理屋ができた。個人的には目黒に中華料理屋は充分な数が既に存在しているので和定食の店が欲しかったのだけれど私の思いだけで街は出来上がらないのです。もし「出来上がる!」という人がいれば単なる狂人であり相手にしていると疲れてしまいますのでやんわりご帰宅いただきましょう。ともあれ新しい店となれば飯島が行かずば誰が行く。ええ、誰かが行きますね。でも私もやっぱり行きたいんですの。ほほほ。意味のない笑い。というわけでお店に入ると店員の姿が無い。一言声をかけるけれど誰も出てこないので席に座って待っていた。すると出てきた青年が。パッと見日本人に見えるがどうだろう?私は自分が日本人の癖にアジア人の顔はどれも同じように見えてまるで何人なのかがわからないのだ。ともあれメニュールは壁に書いてあるものだけだという。ほほう。飲茶定食というものがあるな。「あの飲茶定食って何ですか?」「はい、『飲茶』は『飲茶』です」ええと、言葉を変えてみよう。「飲茶定食の『内容』は何ですか?」「はい、飲茶というのは中国伝統の・・・(後略)」また間違えた。規定の聞き方でないと欲しい情報が得られないのだな。「じゃあ、飲茶定食を頼むと何が出てくるんですか?」「エビシューマイです」それだけ?「エビシューマイなど、です」じゃあもういいや。あの「シェフのすすめ定食」は何ですか?「鶏を黒酢で炒めたものです」そう、じゃあ風邪引いてビタミンB1とかが足らなそうだから豚角煮と青菜炒め定食を貰おうかな。「豚角煮と青菜炒めを・・・」「それは豚の角煮と青菜を使った炒飯です」え、いや頼もうと思ったのだけれど・・・。まぁでも、炒飯なら別のものにしようかな。って、あれ、炒飯は豚角煮炒飯として別に存在するじゃないか。ええい、もういいや、さっきの「シェフのすすめ定食をください!」なんだか日本でここまで日本語が通じない店というのも珍しいな。それも店員さんは日本語らしきものは喋っているのに。そして待つことしばし。出てきたのは「豚角煮炒飯」だった。もうなんか、笑えた。笑った。一人でくすくすしていた。「ちげーよ!」と突っ返すこともできたのだけれどもう面白くなってしまったのでそのまま食べた。これでおいしければ万事問題無かったのだけれどこれが全然おいしくなかった。このまずさもひっくるめてしかし、面白い。何にも通じない世界。つるつるした壁の前でただ私だけが右往左往してる感じ。意思と意志とのすれ違い。何かが生まれそうな気がする。実際は何も生まれずまずい炒飯を食べさせられるだけだけど、やっぱり好き。こういう時にああ、生きていて良かったと思う。炒飯は全部食べられなかった。量が多かったのと、私の身体が全快していないせいだ。2,3カ月したらまたこの店に来よう。しばらくはいいや。お勘定を終えて駅へと向かう。坂を登る。
  1. 2009/09/21(月) 12:30:45|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

温の異

  敬老の日が近いこともあり祖母に何か持っていくつもりだった。しかし昨日今日と体調不良で寝込んでいてとてもではないが贈り物を用意することができない。例え持って出ても風邪がうつったりしたら迷惑になる。そう思って祖母と一緒に住んでいる母に連絡を入れた。そうなると私が病に臥せっているというのが母にも知れ、わたくしの家に差し入れが届くのです。なんだろうと思ってみれば、あなや。ソイジョイ。たくさんソイジョイ。ほか、全部甘いものだった。ううん、そうですなー。そうですかー。複雑な気持ちに胸の内を支配されてもやもや倒れる。私の体温の異常な低さは甘いものが原因である可能性が高いのでしばらく控えようと思っていたのにそうさそうだねでもまだ誰にも言っていないのだからそんなの第三者にはわかるはずもないよねというかたくさんのソイジョイってそはどんなジョイだい?で、結局晩御飯としてソイジョイを食べたけれどしょっぱいものが欲しくなってインスタントな麺を食べた。明日になったら健康になっていたいな。そろそろ健康にならないと連休中の予定が全滅してしまう。もうすでに前半はただ寝込んで頭痛に耐えるだけの休みだったのだ。後半こそは満喫したい。世間並みの休みを味わいたい。制作活動が滞っております。このまま滞れば魂も滞って何かぶすぶす変な臭いがしだして身体ごと腐ってしまうでしょう。ああ、それもいいかもしれない。腐りゆく飯島。ああ、ダメダメ。何もかも肯定する癖はこういう時にいけませんな。もうしばらくはフレッシュに生きよう。明日こそ生き返る!ニュー飯島、ニュー島、新島として!クスリ、飲もう。
  1. 2009/09/20(日) 20:35:51|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ので片

  何も食べられず、昼。昨日の間違った養生のせいで朝から頭は痛いし体温はなぜか何度測っても34度台だし(普段でも35度4分程度だけど)吐き気はするしひどい状態になっていた。だけど朝はまだ身体が動いたのでよしよしきっとすぐに良くなるぞ、と思ってベッドカバーなどの洗濯をしてしまった。その後、身体の状態は素晴らしい角度で急降下していくのにベッドがフレームだけになっていてまったく使用できないという罠。自分で自分に仕掛けた罠に自分でかかるといういかにも飯島らしいダメっぷりである。仕方なくコタツに潜っていた。今年の夏は冷夏だったから、というか単に面倒だったので片付けなかったコタツがこんな時に役に立つとは思わなかった。「人生に無駄は無い」至言である。出しっぱなしのコタツですら役に立つ人生。まったく社会に対して貢献していないと思われるわたくしもどこかで役に立っているのかもしれませんね。別に役に立たなくても一向に構わないのですが。そして昼が来ましたが全く動けないのです。コタツから出られない。昨日の「養生」とは口だけでどこへでも歩いていくことのできた体調とは天と地ほども開きがありまるで身体が動かない。どこもかしこも痛い。うなっていると熱が出た。36度台だ。普通の人の平熱くらいだが平均体温が低いので36度台でもう微熱である。寝ていると久々に夢を見。最近はずっと夢を見なかったのに。ただ、ちっとも面白くない夢で私は自宅で働いているだけだった。脳が死にかけているのかもしれぬ。かつて、私の夢はティービーショウなんかよりも格段に面白く、寝るのが毎日楽しみだったのに。それが今ではこの体たらく。とにかく治ろう。気力と体力で治ろう。何ができるかと言えば寝るだけだ。寝よう。とにかく早く治っておくれ。せめて連休が半ばを過ぎる前に。
  1. 2009/09/20(日) 13:35:12|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

がすぐ

  スタミナの丼を食べる。よく食べるなぁ、スタミナの丼。週に一回か二回は食べているのではあるまいか。ともあれ私にはスタミナが必要なのだ。一日「養生」すると言ってうちから出ずにごろごろしていたのだけれどはっきり言って全然良くなった感じがない。むしろ身体がだるくなってしまった。私の養生は間違っていた。こうなったら次に頼るべきは食べ物である。なんとかして接種した栄養素様に内側からこのポンコツボデーをなんとかしてもらわねばならない。というわけでスタミナを食べた。週に一、二回は食べているスタミナを。もそもそ食べたが別に身体がすぐにもりもりしない。なんとなく、いや凄く眠くなってきた。きっとボデーが睡眠を求めているんだ。昼間私が試みたような擬似的なものではなく真の眠りを。まぁ待て。まぁ待て。身体を騙し騙しして少し起きてやることをやる。いくら飯島が暇そうだと言っても本当に何にもすることのない暇人ではないのだ。そう見えるとしてもそう見えるだけなのだ。残念ながら。本当にそれくらい暇だったらどんなにか素晴らしいだろう。私は忙しいとか頑張っているとかそういうのは大嫌いだなのだ。自意識過剰な顔でわざとらしく額にしわを寄せて「いや~、忙しくてね~」なんて目の前で言われたら日本刀で喉元をかききってほぅらこれで忙しくなくなった。って楽にして差し上げたい。ともあれ私もいや忙しくてねぇ。眠い身体をおして作業をする。右目がしばしばする。早いところ今日の養生を完遂させねばならないとは思っている。
  1. 2009/09/19(土) 23:05:00|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

る」く

  養生しよう。とにかく今日は養生するんだ。もう何週間も際どい体調で過ごすのはたくさんだ!今日一日もうイヤってほど養生して明日には全快、素晴らしい飯島となって素晴らしい人生に復帰するんだ!そう心に決めてはみたものの、「バリバリ養生する」というのがどういうことなのかよくわからない。ゲルマニウム温泉宿などにおれば湯につかって鉱泉を飲み、また湯につかって滋養のあるものを食べたりもできるだろうが私は自宅だ。自宅で徹底的に養生するには「寝る」くらいのことしか思いつかない。でも一つでも思いついたのならばそれを邁進するべきであろう。ガツガツ寝よう!というわけでなるべくベッドの上で過ごしていたが人間、既定の時間以上は眠れるようなものではない。だがこれも養生のためだ!となるべく動かずにいたのだけれど暇だし外に出たいし逆に身体がだるくなってくるしであまりというかまったく面白くない。それに腹も減ってきた。外に出るのは養生ではないような気がして保存食を食べたがちょっとしかないし物足りない。意を決してうちの斜向かいにあるたこ焼き屋にたこ焼きを買いに出た。しかしこのたこ焼き屋、斜向かいなのだけれど大通りを挟んだ斜向かいなので大回りをしなければならない。そこで歩道橋を上がりたい焼き屋の前を通ると女子が二人、たい焼きを食べていた。私はもちろんたこ焼きを求めて出たのだたい焼きは関係ない。なのにこの女子どもが「チョーおいしいんだけどー!」「ねぇ!もう一口だけいい!」「マジ生キャラメルやばい!私も買おうかなー!」とか大声ではしゃいでいる。ははは。飯島の心はバキリと折れた。買ってしまったたい焼きを。その生キャラメルたい焼きをかじりながら当初の予定だったたこ焼きも買って帰る。順序としては逆でいきなりデザートから入ってしまったが元々両方おやつみたいなものである。ちなみに生キャラメルたい焼きはそれなりにそれなりだった。あの女子どもはキャピーキャピー言っていたけれどよほど感情表現が大袈裟なのか食生活が貧しいかのどちらかだろう。そしてたこ焼きだ。全開同じたこ焼き屋でバイト女子が焼いた8個のたい焼き全ての温度が違うという奇跡のようなドブ焼きだったのだけれど今回は本職っぽい鉢巻き男子が焼いてくれた。食べて納得のクオリティー。そうよこれこれ。これぞたこ焼き。ウッフフー。食べ終えてまたベッドに戻る。何はともあれ養生せねばならん。何も夢を見ず五分目をつぶると五分時間が進む。起き上がって水を飲む。
  1. 2009/09/19(土) 13:32:31|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

がボン

  キッシュを食べた。夜になっても体調が回復しないだろうと思って買っておいて良かったぜな。ぽるぽるぽっぽっぽ。しかしこのキッシュ、あんまり味が無いな。私が必要としている栄養素が入っていないのでそのように感じるのかもしれない。ただ単に塩が好みの分量で入っていないだけなのかもしれない。ともあれなんとなく味を感じないキッシュを食べたがやはり何かが足りない。そこでゼリー状の飲料を飲んだ。この変なゼリーが私の身体となって再生されるのだ。そう考えると少し気味が悪い。何か別のものを食べたほうがよさそうな気がする。こう、これが私の一部になってもよいな、と思われるもの。偉人とか。後は可愛い娘とかもいいかもしれない。でもそういったものがボンクラな私の一部となると考えると少しもったいない。もうちょっとグレードを落としたものを食べよう。魚とか。野菜とか。そうなるとキッシュももちろんオーケーだ。変なゼリーもいいかもしれん。食べ終えたらよく眠ろう。もう病を得てから二週間になる。この連休で全快しなければもうこれ以上自分の身体を信用できない。もう捨ててしまおうかとも思う。可能ならリサイクルできるところは持って行って使うと良いよ。臓物とかもおいしくいただいてください。そういえばモツを最近食べてない。食べよかな。人を呼んで。一人モツというのは少うし気が引ける。罪悪感なのかもしれんね。
  1. 2009/09/18(金) 20:46:28|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ばニュ

  じわじわと水面下で盛り上がりつつあった病の「ぶり返し」が本格的に牙をむいた。がおー。頭が、頭脳が超痛い。頭痛というのは私の経験上、寝転んでもわめいても消えない腹痛と違って静かにじっとしていればあまり向こうからやってこないのだけれど随分積極的な頭痛でこちらが動いてもいないのにガンガン左脳を玄翁で叩いてくる。そして玄翁とはハンマーのことだ。それでもオヒスに行ってしばらくお酢事をしていれば人間の身体である。以外に治ってしまうのではなかろうかと思ったらさにあらず。徐々に状態が悪くなっていく。どんどん身体から力が抜けていく。喋ろうとすると咳が出る。動けば頭痛でふらふらする。もういいもういい。ボスから帰るように言われて私は帰ることにした。しかしスブヤに少し寄る。そのまま帰っても食べ物が無い。というわけでディーン&デルーカに寄った。そういえばニューヨークにいる時に本店に行ったっけ。まるで印象に残っていないが事実だけを覚えている。もしかしたら行ってないのかもしれない。ともあれ日本の、それもスブヤのディーン&デルーカは随分こじんまりとしていた。サモウィッチなどや惣菜を売るスペースがちょみっとあるだけである。でも問題ない。私が食べたいのはサモウィッチなのだから。そこでよくわからないチーズとよくわからない加工肉が挟まったよくわからない名前のパンとキッシュを買って帰る。自宅で食べる。頭脳はずきりずきりと痛むけれど食欲が無いわけではない。ただ、味はよくわからない。なんとなくおいしいのかもしれない。チーズだけが何かいい感じに身体に染みるのがわかる。あとヴァイタミンが欲しいなー。でも無いなー。寝るかー。寝てる間に私の身体が勝手にヴァイタミンを合成するといいなー。
  1. 2009/09/18(金) 12:51:39|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

うメリ

  なんか、ハンバルガー食べた。本当はうどんが食べたかったのだけれどなぜかうどん屋が非常に混んでいたのでハンバルガーにしたのだ。でも私にはハンバルガーがある。メリケン時代に昼に夜にと食べていたので今でも昼に夜に食べても問題無い。ニューヨークにいた時に一番近くにあったハンバルガー屋、ウヘンディーズが目黒にもあるのでそこで食べる。食べるといつもメリケン時代を思い出す。だが、思い出しながら今日は私の中で決別があった。私は何を思い出しているのか。もういいじゃないか。これでは今、私が生きているジャポンで制作がうまくいかん。もうメリケンは私の中で消化され、意識されないところで意識になっているのだ。もう一々振り返っていたら新しいことができなくていけない。もういいもういい。しばらくはハンバルガーも食べぬ!だってそんなおいしくないじゃないの!おいしいけど。おいしいところのは。でも食べん!中華料理でも食べながら生きる。人間決別だ!別れがなければ人は成長しないのだ!ふがーふがー。自宅に戻ると歯医者から「そろそろ治療から半年になるので定期健診にいらしてください」というハガキが来ていた。ううむ、過去だ。でも、これは未来につながる過去なのだ。とりあえず空いている日を調べて2,3日したら予約を入れて歯を見てもらおう。
  1. 2009/09/17(木) 22:07:38|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

スの中

  秋刀魚である。秋刀魚が生である。同僚に「やぁ、今日の社食は生秋刀魚であるな」と申すと「え、生!?」と返ってきたけれど違う違う。秋刀魚の刺身ではなくて冷凍していないという意味の生秋刀魚。それを塩で焼いたものだ。食べてきた私はオヒスに戻って一言。「おいしかったですよ」。その瞬間、オヒスが揺れた。ざわめいた。叫び声が漏れた。人が倒れた。「あ、あの飯島が『おいしい』だって!?」来る!地震が来る!震度80万、マグニチュード100万のやつが!大変な動揺である。オヒスの中が上へ下への大騒動。私が「おいしかった」と言っただけで。確かに私は社員食堂のことを毎回口を極めて罵っており、そこにお嬢様学校を出たてばかりの可憐な少女がおったならば卒倒すること間違いなし。ちょっと気の弱いセレブマダムであっても腰を抜かすくらい社員食堂をけなしとおしている。哲学があると言ってもよいくらい首尾一貫した罵倒っぷりだ。それが今日は褒めたのだ。確かに地震の一回や二回おこって地上が崩壊しても不思議ではない。でも実際おいしかったのだ。旬の魚をただ焼いただけ。それだけなのに、それだけだからおいしかった。ここの調理人は才能がゼロ、というかマイナスに突入しているから手を加えれば加えるほどまずくなる。そんな時は豊かなる海原の力を豊饒な大地の力をただそのまま使えばよいのです。見よ!このシンプルだが奥深い料理を!秋刀魚はただ秋刀魚であるだけでその身にストーリーを宿しているのです!皿に横たえれば頭から尻尾まで味に変化がある。裏返せばワタがありワタもまた甘さと苦さを持っている。これだよぅ。命というのは単純ではないのだよぅ。食堂の人間は一人残らず食べてほしい。命の味を見つめてほしい。さすれば明日からの味が変わってしかるべし。でもきっと変わらない。人間は意外と変わらない。てっとり早く私の方が変わろうか。いいや変わらない。というか変われない。飯島はいつも飯島なので次の飯島になるにはとりあえず芸術と決別しなければならない。でもそんなことをしたら死ぬ。飯島、次の瞬間に死ぬ。だから私は変わらない。来世になっても変わらない。というか死んでも来世にはいかずに仏として死んだままでいる。それが、飯島。
  1. 2009/09/17(木) 12:39:33|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

プロフィール

モチウナギ

Author:モチウナギ
写真家で着物デザイナーで何かそんなようなものです。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブクログ

Twitter

    follow me on Twitter

    ブログ内検索

    RSSフィード

    リンク

    このブログをリンクに追加する

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。